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石川原(いしかわら)遺跡

平成30年11月 調査
調査場所
吾妻郡長野原町川原湯地内
調査期間
平成30年4月1日から平成30年12月31日
調査原因
八ッ場ダム建設工事に伴う埋蔵文化財の発掘調査
委託者
国土交通省関東地方整備局八ッ場ダム工事事務所
主な時代
縄文・古代・近世
遺跡の内容
11月の調査では、7区の縄文時代の調査を行いました。 調査区の南側では、竪穴建物の調査を中心に行いました。竪穴建物1棟からは、鹿角や獣骨がまとまって出土し、焼けた状態の6個体分以上の下顎骨などの骨角器等が確認されました(写真1)。竪穴建物の時期は、縄文時代後期末葉から晩期初頭と考えられます。調査区の東側では、2号配石の調査を開始しました。2号配石では、これまでに15基の配石墓と列石が確認されました(写真2)。配石墓は、縄文時代後期中葉から末葉にかけて構築されたと考えられ、縄文時代晩期にも利用された痕跡が認められます。配石墓は、底面に石を敷くものがほとんどで、周囲を箱形に石を立て並べて囲んで構築されています(写真3)。また一部には、蓋石が残っている配石墓も確認されました。ほかにも円形に周囲を石で囲み、中央部に立石を配置する配石も確認できました(写真4)。調査区北側では、配石遺構群と水場遺構周辺の調査を行いました。配石遺構群では、水場遺構と考えられる遺構が2か所確認されました(写真5)。一つは湧水点、もう一つは貯水施設の可能性がありますが、現在調査中です。両遺構は隣接し、貯水施設の南には自然流路が伸びており、谷部の水場遺構へと流れていたと考えられます。貯水施設の北側では、自然流路を囲む配石遺構も確認できました。さらに配石遺構群の北東側にも、水場遺構と考えられる遺構が確認されました(写真6)。時期は縄文時代後期前葉で、谷部に向かってコの字状に巨礫を配していました。この遺構は、湧水を自然流路へ流すための施設だったと考えられます。上面には、縄文時代後期中葉から晩期中葉までの遺物や礫が積み重なっている状態でした。出土した遺物には、注口や把手などの土器の特徴的な部位や丸石などが集まっていることから、水場遺構が埋没後単なる廃棄場としてではなく、マツリを行った場でもあったと考えられます。水場遺構の南側からは、新たな水場遺構が4か所、トチ塚が6か所、水を流すための排水路などが確認されました。時期や規模については、現在調査中です。
連絡先
八ッ場ダム調査事務所 0279-76-8040
写真1 7区 121号竪穴建物の獣骨集中部作業風景(南西から)
写真2 7区 2号配石全景(空撮)
写真3 7区 2号配石内配石遺構全景(空撮)
写真4 7区 2号配石内配石墓全景(南西から)
写真5 7区 32・35号配石遺構(水場)全景(西から)
写真6 7区 34号配石遺構(水場)全景(南西から)