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前橋城三の丸(まえばしじょうさんのまる)遺跡【前橋地方・家庭裁判所関連】
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= 江戸時代と明治時代【100〜400年前】 =
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前橋城三ノ丸遺跡は前橋地方・家庭裁判所の敷地内にあった遺跡です。
平成19年1・2月の発掘調査で建物の跡などが発見されましたが、最も注目を集めたのは障子堀という堀の中に障子の桟(さん)や連続したダムのような掘り残しを設けた堀でした。県内では障壁が低く壁面擁護のための保水効果を期待したと考えられるものと、一定の高さがあって堀内の通行をしにくくする防御機能を持ったものがありますが、三の丸遺跡の障子堀は後者の機能を持っています。
しかし障子堀はその多くが戦国時代から近世初頭のものと考えられているのに対し、この堀は江戸時代の中頃までは使われ、出土遺物の鑑定の結果、幕末まで少なくも窪地として残っていたらしいことも分りました。形が崩れているのは長期間使われたことを示すものと思われます。
一方、発掘調査に伴って明治時代に建てられた裁判所の旧庁舎の基礎遺構が現れ、旧本館の外周からは陶器製のU字溝が出てきました。このU字溝は長さ47cm、幅40cm、深さ23cmほどの土管を半分に割ったような形をした半径土管という珍しい遺物であることが分りました。半径土管は明治15年(1882)東京の松井總兵衛が考案し、常滑の鯉江常之助が始めて作ったもの。前橋城三の丸遺跡の半径土管には釉薬の掛かったものと素焼きに近いものがあり、黒っぽいマンガン釉の製品から明治30〜40年代という年代が与えられました。
裁判所本館の建築は当時の新聞記事から明治14年の前橋始審裁判所時代のものと見られますので、排水溝は後から施工されたものであることも分りました。常滑市民俗資料館には半径土管を作るのに使った木型が展示されています。
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江戸時代の障子堀
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明治時代の半径土管
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