平成19年1月
 
楡木U(にれぎに)遺跡   【八ッ場ダム建設関連】
= 空白の時代を埋める【平安時代後期、約1,100年前】 =

 吾妻郡長野原町林地区の西側に位置する遺跡です。
 平安時代の集落としてこの地区では最大規模の37軒の竪穴住居が検出されており、その大半が9世紀後半から10世紀前半に集中しています。
 注目されるのは、@『三家』やA『長』などの文字が記された墨書土器の出土です。前者については「みやけ」と読めるとすると、時期は異なるものの国家の直轄地としての「屯倉(みやけ)」との関連が指摘されますし、後者については「おさ」と読めるとすると、「郷長」などの存在を推定出来ます。
 10世紀ごろに編集された『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』によれば、西吾妻地区には律令制度上の「郷」が無いとされてきましたが、こうした文字の存在がその見直しを図るきっかけになりそうです。
@46号竪穴住居出土の墨書土器「三家」 A46号竪穴住居出土の墨書土器「長」
@「三家」
46号竪穴住居から出土
A「長」
46号竪穴住居から出土