平成20年3月調査
 
綿貫原北遺跡(わたぬきはらきたいせき)
調査場所: 高崎市綿貫町字原北
調査期間: 平成20年1月4日〜平成20年3月31日
主な時代: 奈良・平安時代、室町・戦国時代、江戸時代
遺跡の内容:  1区第2面の平安時代から中世の調査を行いました。
 中世の屋敷跡は、調査区の北東部と南東部の2カ所で見つかりました。北東の屋敷の溝は、東壁から12mほど西に延びたところで北にL字形に曲がり、更に20m延びて終点となります。規模は、上幅約3m、深さ約1mで、底面から高さ30cm付近まで溝が埋まった時期に大量の川原石と、在地産の火鉢や鍋、鉢などが投棄されていました。遺物は特に北の終点部付近から数多く発見されていますが、その理由はここが屋敷地への出入り口部であったためと思われます。屋敷の内側でもこの溝に並行する区画溝が見つかっています。調査部分が屋敷の西端であり、柱穴は20基ほどしか発見できていないので、建物の配置を復元するには至っていません。この他には井戸1基も見つかりました。
 南東の屋敷の溝は、東壁から13mほど西に延びたところでL字形に南に折れています。上幅約3mで、深さは最深でも50cm程と浅いため、表土が削り取られたものと考えられます。遺物は、ほぼ完形の板碑1点と、古瀬戸の盤類や天目茶碗、在地産鍋・鉢が出土しました。また、溝の南縁に重なって幅1m程の道路跡が見つかり、屋敷通路の可能性もあります。屋敷の北西角のためか、柱穴は見つかっていません。
 平安時代の遺構は、竪穴住居14軒や溝・土坑数基があり、その内9軒を調査しました。住居は9世紀から10世紀の頃のものでした。
連 絡 先: 遺跡調査事務所 027−353−6640
中世屋敷の区画溝 平安時代の竪穴住居跡
中世屋敷の区画溝 平安時代の竪穴住居跡