平成19年2月調査
 
前橋城三の丸遺跡(まえばしじょうさんのまるいせき)
調査場所: 前橋市大手町地内
調査期間: 平成19年1月4日〜平成19年2月28日
主な時代: 平安時代、中近世
遺跡の内容:  前橋城、三の丸遺跡では1月に引き続き前橋地方裁判所の増築工事に伴う発掘調査を実施し、2面目の中・近世面と一部で古代末の3面を発掘して調査を終えました。
 2・3面でも明治時代の建物基礎が深く入り込んで遺構の残りは良くありませんでしたが、近世の堀や礎石建物の一部、井戸、中世か近世の土坑(穴)や中世の水田跡、古代末の水路跡などを確認しました。
 近世の堀はL字形のものと他に1条あり、いずれも明和5年(1768)に一旦城が壊されたとき埋められたようです。このうちL字形の堀の一辺は障子堀でした。障子堀は障子のサンのように堀底を掘り残して障壁を作るもので、堀底での移動をしにくくし、障壁と障壁の間に落ちた敵兵を弓や鉄砲で攻撃する効果があります。関東では戦国時代に小田原北条氏が多く使っていましたが、近世のものは類例も少なく特筆される発見でした。
 礎石建物は何れも部分的なもので、2面への掘削途中で礎石を据えるために石を並べた地形(じぎょう)が見つかり、更にその下から礎石や柱穴を掘って底に礎石が据えたものなどが発見されました。これらは近世の前・中期の建物のものと思われます。
 また調査区の南西側はもともと土地が少し高く、その北側と東側が低くなっていたことも分かりました。高い土地と低い土地との境には3面で調査した平安時代の末頃の溝が掘られています。その後、前橋城が造られる前、利根川が今の広瀬川から利根川に変流を始める前の14世紀以前には低い土地で水田が造られていたことが北側の調査区で確認されました。
はねつるべを使っていた近世の井戸 近世の障子堀
はねつるべを使っていた近世の井戸 近世の障子堀