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前橋城三の丸遺跡(まえばしじょうさんのまるいせき)
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前橋市大手町地内
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| 調査期間: |
平成19年1月4日〜平成19年2月14日
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| 主な時代: |
室町時代・江戸時代
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| 遺跡の内容: |
中世には厩橋城(まやはしじょう)と呼ばれた前橋城は戦国時代に築かれ、総社長尾、長野、上杉謙信の家臣北条高広、甲斐の武田、相模の北条が次々に城の主となりますが、天正18年の小田原征伐後に平岩親吉、関が原合戦後に酒井氏が入って近世前橋城が整備されます。そのころ本遺跡付近は城内の武家屋敷となっていました。ところが酒井氏に替わって結城松平氏が転封した18世紀の中ごろの前橋城は利根川の氾濫で本丸の一部などが崩れ落ちる状態となり、松平氏は川越に移って城を取り壊してしまいます。しかし幕末近くになって前の三の丸を本丸として城を再築。本遺跡付近は三の丸となって隠居した藩主らの屋敷が建てられますが、すぐに時代は明治となり、遺跡地は裁判所となって現在に至っています。
さて前橋城三の丸遺跡の発掘調査は前橋地方・家庭裁判所の増築工事に伴うもので、今回の発掘調査では近世面と中世面の2面の調査を予定しています。
調査に入り1面目を広げてみたところ、レンガの建物や礎石立ちの建物、丸太を敷きその上に縦方向に差し込んだ大きな「ぐり石」を並べるなどした大掛かりな建物の基礎が出てきました。当初は建物の方向の違いなどから江戸と明治の建物が混在していると見ていましたが、旧裁判所の図面と照らし合わせた結果、多くが近代の建物基礎であることが分かりました。つまり江戸時代の遺構は近代の建物にかなりの範囲で壊されていて、江戸時代の可能性を持つ建物跡と認識できたは、僅かに礎石立ちの建物2棟にしか過ぎませんでした。
引き続き1月末葉から2面目の調査に着手しています。
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江戸時代の可能性を持つ礎石立建物跡
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珍しい大掛かりな近代建物基礎
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