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群馬の遺跡・出土品整理遺跡の最新情報

今月のトピック遺跡紹介平成22年8月
大道西(だいどうにし)遺跡【北関東自動車道関連】
完全復元された馬形埴輪
大道西遺跡は太田市東今泉町にあった遺跡です。この遺跡からは古墳時代末から奈良・平安時代にかけての竪穴住居や東山道駅路(とうざんどうえきろ)の側溝、中世の屋敷地などが発見されました。また、古墳は発見されませんでしたが駅路の側溝や周辺の溝などを埋めた土砂の中から大量の埴輪が出土しました。出土した埴輪の中には円筒埴輪、朝顔形埴輪をはじめ家、盾、靭(ゆぎ)、人物、馬などがありました。6世紀の後半に作られて古墳に立てられたものと考えられます。
本遺跡のすぐ北側には7世紀前半に築造された方墳の巌穴山古墳があります。この他にも矢田堀町から東今泉町にかけては10基ほどの古墳が点々と造られており、矢田堀古墳群と呼ばれています。中には埴輪が立てられていた古墳もあったようです。今回発見された埴輪は、遺跡の近くにあった古墳が奈良・平安時代に何らかの理由で破壊・削平され、そこから遺跡内に持ち込まれたものと考えられます。
馬形埴輪は四頭以上が確認できましたが、写真のようにその中の一頭は左前足やたて髪などが欠落するものの、古墳に立てられた当時の姿に近い形に復元することができました。このような高さ1mを超える馬形埴輪が完全に復元される例は、県内でも珍しいことです。
この馬形埴輪は飾り馬と呼ばれるもので、何らかの儀式、ハレの場面にのぞむ馬を表したものです。馬の動きを制御するための轡(くつわ)、背中に置かれた鞍(くら)、足をかけるための鐙(あぶみ)、鞍から胸や尻の方にのびた革帯など、馬に乗るためのいろいろな装具が丁寧に表現されています。
古墳時代、馬は財力や権威の象徴でした。馬形埴輪は、古墳に埋葬された人の権勢を末永く示すために古墳に立てられたものと考えられます。

馬形埴輪(横から)

写真1 復元された馬形埴輪(横から)

馬形埴輪(斜めから)

写真2 復元された馬形埴輪(斜めから)

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