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今月のトピック遺跡紹介平成21年10月
横壁中村(よこかべなかむら)遺跡【八ッ場ダム建設事業関連】
中世の屋敷跡 =古文書に残らなかった中世=
横壁中村遺跡は、平成8年度から発掘調査が行われています。この遺跡は、長野原町の北東に位置し、遺跡の北側には吾妻川が東流しています。また、遺跡の南西約1.5㎞には、巨大な円柱状にも見える「丸岩(まるいわ)」の山塊があり、独特な景観を見せています。横壁中村遺跡は、縄文時代の大規模な集落跡が出土したことで知られていますが、中世の遺構や遺物も多く見られます。ここでは、石垣を伴う中世の屋敷跡について紹介したいと思います。
横壁中村遺跡は、吾妻川に向かって緩やかに傾斜した地形上にあります。ここから石垣を伴う中世の屋敷跡が検出されました。石垣は1段に築造されていますが、低く傾斜した土地を整地して平坦にするために築かれたと考えられます。
この石垣に囲まれた中からは、9棟の掘立柱建物跡が検出されました。長軸が10mを越える大型建物も2棟ありましたが、それ以外は長軸5m程のものが大半でした。掘立柱建物跡相互の重複は比較的少なく、屋敷の存続期間は短かったと考えられます。屋敷跡から出土した陶磁器は15世紀を中心とするものが多いことから、同時期頃の屋敷跡だと考えられます。
出土遺物には、当時の高級品であった中国産の陶磁器や瀬戸・美濃産の施釉陶器があります。高級品である陶磁器を使い、飾り、その権勢を示していた人たちが横壁の地にいたのでしょうか。そのほかに、多数の内耳土器(土鍋)・石臼や鉄製の鏃・刀の一部なども見られます。武器を携え、有事に備えていた人たちも、普段は平穏な毎日を送っていたのかも知れません。
山々に囲まれた横壁中村遺跡ですが、江戸時代においては信州街道、草津街道が通り、人々の往来は多かったと考えられています。これは、中世においても同様であったと思われ、交通の要所にあたる横壁の地に住んでいた人たちは、旧街道と何らかの関わりを持っていたことでしょう。15世紀は、武田信玄や真田氏が上州吾妻谷の城砦を攻める少し前にあたります。残念ながら、古文書の中に横壁の地について詳しく触れているものはありませんが、今回の発掘調査によって文献には残らなかった吾妻地域の中世の様相も、少しずつですが明らかになってきました。

写真1 中世の屋敷跡

写真2 屋敷跡の石垣
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