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今月のトピック遺跡紹介平成21年8月
東宮(ひがしみや)遺跡【吾妻郡長野原町大字川原畑】
地獄楔(じごくくさび)が用いられた差歯下駄(さしばげた) =天明泥流(1783)の下から発掘された高度な技術=
東宮遺跡は、八ッ場ダム建設工事に伴い、平成19年度から発掘調査が進められています。遺跡が所在する長野原町大字川原畑地区は、吾妻川左岸の中位河岸段丘面上に立地し、当時の村(川原畑村)は、天明三年(1783)の浅間山噴火に伴う大規模な泥流(天明泥流)により、壊滅的な被害を受けました。 発掘調査の結果、1~1.5mの厚さで堆積した天明泥流の下からは、6軒の屋敷跡とそれに伴う14棟の建物が出土し、当時の村の生活の様子がうかがえる貴重な遺物も多数出土しました。ここでは、出土した多数の遺物の中から“下駄”を取り上げ、そこに用いられた高度で稀少な技術について紹介します。
下駄はもともとは雨天の場合や水仕事で足を汚さないための履き物として使用されてきました。江戸時代になり、服飾品として商品化された結果、日常的な履き物となり、形や装飾も多様となっていきました。下駄はその形状から大きく分類すると、①一木(いちぼく)下駄=原木から切り出して製作し、台と歯の接合作業過程をもたない種類と、②構造下駄=台と歯を別個に製作し、両者を接合したもので、差歯(さしば)下駄と呼ばれる種類に大別できます。①は古くは古墳時代からの出土例があるのに対し、②は中世以降の製作技法であるとされています。
下の写真は、東宮遺跡で出土した約80個体の下駄のうちの1点で、差歯下駄と呼ばれるものです。差歯下駄は、一般的に台の裏面に2本の溝を彫り込んで、接着剤などにより固定しながら差歯を装着します。ところが、この下駄は単純に歯を溝にはめ込むだけの装着技術だけではありません。差歯の上部、台の溝へはめ込む部分には縦横に切れ込みを施し、楔(くさび)と呼ばれる断面が三角形の先の尖った小さな木材を上から差し込みます。縦方向の切れ込みは少し深く、横方向の切れ込みはその半分程度の深さにしておきます(写真2)。楔を差し込めば、楔の厚みの分だけ差歯の厚みを広げる作用が生じますから(写真3)、差歯は固定されるというシステムです。横方向の切れ込みを縦方向より浅くするのは、楔により広がった長方形の凸部が差歯から外れないようにするためなのです。秘密はもう一つ隠れています。実は、台に彫り込まれた溝の壁面には、楔により広がった凸部に、その形状とサイズが合致するような凹部が彫られ、まるで釣り針の“カエシ”のように、一度装着されたものは容易に抜けないようになっているのです。
ここで紹介した技法は“地獄楔”或いは“地獄ほぞ”と呼ばれ、建築の分野では認められていますが、この技法が下駄に適用されている例は全国的にみて稀少であり、下駄という生活具の中に、当時の高度な技術の一端を垣間見ることができる貴重な資料といえます。
なお、今回紹介した東宮遺跡出土の下駄等の遺物は平成21年10月24日(土)開催の「公開普及デー」にて公開展示予定です。

差歯下駄の台

写真1 差歯下駄の台

切れ込みが施された差歯と楔

写真2 切れ込みが施された差歯と楔(くさび)

楔が差し込まれた状態

写真3 楔が差し込まれた状態

歯が装着された状態

写真4 歯が装着された状態

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