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今月のトピック遺跡紹介平成21年7月
上白井西伊熊(かみしろいにしいくま)遺跡【国道17号鯉沢バイパス】
二ツ木式土器(ふたつぎしきどき) =縄文時代前期(約5,400~7,200年前)=
上白井西伊熊遺跡は、国道17号鯉沢バイパス建設に伴って平成15~16年度に発掘調査された遺跡です。渋川市の吾妻新橋南の交差点で国道17号線から分かれて旧子持村を南北に縦断する鯉沢バイパスが、再び国道17号に合流する地点の下位段丘の傾斜地に立地しています。この遺跡の調査で、今から6,500年以上前の縄文時代前期の竪穴住居跡が6棟発見されました。この竪穴住居跡から「二ツ木式土器」と呼ばれている土器が出土していますので、ここに簡単に紹介します。
二ツ木式土器は、反り返るように開いた4つの波状の口縁と、張りのある胴部を特徴とする平底の土器です。縄文時代早期からの伝統を引き継いだ植物繊維を混ぜた粘土で作られています。口縁の近くには、細い縄を渦巻きや蕨のような形に押し付けて描いた文様や、刻みを付けた粘土ひもを貼り付けた文様、細長い梯子のような線で描いた文様などが組み合わされ、さらに小さな粘土粒を貼り付けたものなどもあります。胴部の文様は、撚りの向きの違う縄を横方向に回転させて付けた矢羽根状の縄文や、縄の端部を強調して回転させた「ループ文」と呼ぶ横方向の帯状に付けた縄文が多く、一見すると単純な文様の繰り返しに見えます。
しかし、文様を付けるために使われている縄は、私たちでは考えつかないほどに多様で複雑な撚り方をしたものです。この縄に対する異常とも思えるこだわりは、人の目に触れることのない土器の底にまで付けるといった徹底ぶりです。縄文時代中期の立体的な造形の土器とは少し趣が違いますが、文様をつけるために注いだ情熱は中期の土器にも劣らなかったはずです。縄文時代前期前半の土器は、花積下層式土器から関山式土器へと変化したと考えられてきたのですが、二ツ木式土器はこの両方の土器の形や文様に共通する特徴を持っています。
花積下層式土器から関山式土器への変化を考えるときに、二ツ木式土器を間に置いて見ると形や文様の変化を無理なく説明することができるのです。こうしたことから、縄文時代前期前半の土器は花積下層式→二ツ木式→関山式と変化したとする説が出されているのですが、これには異論もあり縄文土器の変遷の仕方についてのホットな論争は今も続いています。

複雑な縄文を付けた二ツ木式土器

写真1 複雑な縄文を付けた二ツ木式土器

二ツ木式土器の出土した竪穴住居

写真2 二ツ木式土器の出土した竪穴住居

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