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群馬の遺跡・出土品発掘遺跡の最新情報

金井東裏(かないひがしうら)遺跡 平成26年3月調査
調査場所

渋川市金井地内

調査期間

平成25年4月1日~平成26年3月31日

調査原因

(国)353号金井バイパス(上信自動車道)道路改築事業

委託者

渋川土木事務所

主な時代

縄文・弥生・古墳・中近世

遺跡の内容


 3月の調査は、7区と8区とした南側の調査区を進めました。7区では、方形周溝遺構と仮称した珍しい遺構の他、5世紀後半の竪穴住居や集石遺構を調査しました。南側で検出した方形周溝遺構は、幅1.5mほどの溝を一辺7mほどの方形に廻らせたものです(写真1)。溝の内側の四隅には柱穴のような穴が掘られており、一見すると造りかけの竪穴住居のようですが、溝が埋まった段階で南東の柱穴のような穴に接して石囲い炉のような施設が造られており、竪穴住居とも考えにくいものです。時期は弥生時代から古墳時代のものと考えられます。竪穴住居は5世紀後半のもので、東向きに造られたカマドからは、カマドの補強材として使われた土師器の甕が6個出土しました(写真2)。集石には高さ50㎝ほどの立石があり、その周辺からは小ピットが検出されました(写真3)。この遺構からは、土器や臼玉が出土しており、祭祀に関連する遺構と考えられます。
8区では縄文時代の遺構の調査を行い、合計7棟の竪穴住居と多数の土坑を検出しました。前期の竪穴住居が主体ですが、後期のものも1棟検出されています。写真2は前期の竪穴住居が重複して検出された状況です。
これまでの調査で、古墳時代の金井東裏遺跡は、5世紀前半に竪穴住居が造られ始め、榛名山二ツ岳が噴火する前の5世紀後半に集落としての中心的な時期があったことが分かりました。その後、6世紀初頭の噴火に伴う火砕流で被災し、6世紀中頃の2度目の噴火によって2m近い軽石に埋もれた後に竪穴住居などが造られた痕跡は見られません。その後、この遺跡地内ではほとんど遺構は認められず、近世になって墓や土坑がいくつか確認されるだけです。また、南北に600mほど調査を行いましたが、9区の北側の10区~13区からは、古墳時代の竪穴住居などは見つからなかったことから、人が多く住む地域は9区までと分かりました。(写真6)

問い合わせ 
公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 電話 0279-52-2511


写真1 7区 弥生時代以降方形周溝遺構完掘状況

写真1 7区 方形周溝遺構(弥生時代~古墳時代)の調査状況

写真2 7区 古墳時代住居カマド袖内甕出土状況

写真2 7区 カマド構築材として使われた土師器甕の検出状況

写真3 7区 古墳時代の集石検出状況

写真3 7区 古墳時代の集石の調査状況

写真4 8区 縄文時代前期重複住居検出状況

写真4 8区 縄文時代前期の住居の重複状況

写真5  4・9区 古墳時代面航空写真

写真5 4・9区 航空写真(古墳時代の面)

写真6  金井東裏遺跡全景 東より調査区全体と背景の榛名山を望む。

写真6 金井東裏遺跡全景 東より調査区全体と背景の榛名山を望む。

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