歴史を紐解く

群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内

中毛地区箕輪城跡-高崎市箕郷町西明屋 中世-

箕輪城は、榛名白川が削った高さ20m程の河岸段丘の上にある、中世に作られたお城です。東西約500m、南北約1100m、面積約47haにおよぶ広大な平山城で、西側は白川の断崖、南は榛名沼の低地というように自然の地形を巧みに利用して造られています。築城は1512年に長野尚業(ながのひさなり)が造ったという説が有力ですが、1526年に子の長野信業(ながののぶなり)が造ったという説もあります。
現在のような城の形になったのは井伊直政(いいなおまさ)の代になってからで、築城当時とは大分様子が変わっています。
井伊は箕輪城を修復して水濠をつくり、城下町を整備しました。現在残っている町割りや城跡のほとんどは、井伊直政の時代に造られたと考えられています。
昭和62年12月に国の史跡に指定されました。

見学案内
電車
・JR高崎線、高崎駅からバス、箕輪小学校降車、徒歩25分。
・JR上越線 前橋駅から車で西へ40分
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は遺跡の位置を表しています。
ここがポイント

城内部の御前曲輪(ごぜんくるわ)・本丸・二の丸・三の丸などの各郭(くるわ)は深堀で囲まれています。
大堀切と呼ばれる深くて大規模な堀によって城は大きく南北に2分され、ただ土橋によってのみ結ばれる「別城一郭」(べつじょういっかく)という造り方がされています。 「別状一郭」とは、一方が敵に攻略されても一方が生き残り敵対し続ける実戦に即した戦国時代の城の造り方です。

もっと知りたい!

戦国時代、甲斐(山梨県)の武田、小田原の北条、越後(新潟県)の上杉等の有力な戦国大名は西上野に相次いで侵略を繰り返しました。 西上野の勢力を結集し抵抗を続けたのが長野氏で、その居城が箕輪城です。
この長野氏は、平安時代の歌人・在原業平の子孫にあたり、国府役人として都から上野国へ赴任した先祖が長野郷(高崎)浜川地方に住み、長野郷の郷名を名乗ったようです。関東管領(かんとうかんれい)上杉氏に従う長野氏は、憲業と業政の時に勢力を拡大します。特に名君とうたわれた業政の時代には、西は吾妻郡、南は小幡、東は大胡付近まで勢力を伸ばし、白井、忍、安中、小幡とは姻戚関係を結び西上野の結束に努めました。
甲斐の武田信玄は盛んに箕輪城を攻めましたが容易落とすことはできませんでした。
しかし、永禄4年(1561)年、業政が72歳で病死すると本格的に攻撃を仕掛けてきました。
業政の子業盛は箕輪城に籠り、信玄に敵対し続けましたが永禄9(1566)年、武田軍2万の総攻撃にあいついに落城、城主業盛は御前曲輪で自刃したと伝えれてています。業盛19歳の時でした。武田家の手に落ちた箕輪城は家臣の内藤昌豊が城主となりますが、武田家滅亡後は織田、北条と城主が代わりました。天正12(1590)年徳川家康が関東に入国すると重臣の井伊直政が12万石を与えられ城主となります。
慶長3(1598)年井伊直政は高崎城(和田城)に移り箕輪城は廃城となりました。
・箕郷町教育委員会 ℡027-371-5111(呼)
・箕郷町中央研修館 箕郷町西明屋421  ℡027-371-3152 休館日 日・月曜日
・箕郷町文化会館  箕郷町生原922-1  ℡027-371-3152 休館日 月・火曜日
・箕郷町図書館   箕郷町西明屋299-1 ℡027-371-4486 休館日 月・火曜日
箕郷町の上記各施設で資料の閲覧等ができます。

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