

標高約240m、鏑川右岸の上位段丘上で、稲含山から連なる尾根の末端部にある縄文時代の遺跡です。1987年から1990年にかけて、上信越自動車道建設のために下仁田町遺跡調査会が発掘調査しました。
下仁田町での本格的な発掘調査は、これが初めてでした。調査の結果、縄文時代中期(今から約5,000年から4,000年くらい前)を中心に、旧石器時代から中世にわたる遺構や遺物がたくさん見つかりました。特に旧石器時代のナイフ型石器が見つかったことにより、下仁田町の歴史をさらに明らかにすることができました。
現在は、下仁田インターシェンジになっています。
縄文時代の竪穴住居や土坑は、ほとんどが中期のもので、住居からは刃を磨いた石の斧(磨製石斧)を作るための道具(砥石・ハンマー)や原石、未製品が発見されました。たぶん、ここで縄文人たちは磨製石斧を作っていたのではないでしょうか。
また、群馬県内では産出されない、長野県和田峠産の黒曜石(こくようせき)の原石が縄文時代の住居から見つかりました。下鎌田遺跡は長野地方と関東地方の交易の中継地点だったのかもしれませんね。
出土した土器や石器などの資料は、下仁田町に保管されています。また、下仁田町小坂には、ふるさとセンター(歴史民俗資料館・電話0274-82-5345)があり、出土した縄文土器や石製の耳飾りや磨製石斧などの石器のほか、民俗関係の資料も収集・展示されています。縄文時代の竪穴住居や土坑は、ほとんどが中期のもので、住居からは刃を磨いた石の斧(磨製石斧)を作るための道具(砥石・ハンマー)や原石、未製品が発見されました。たぶん、ここで縄文人たちは磨製石斧を作っていたのではないでしょうか。 また、群馬県内では産出されない、長野県和田峠産の黒曜石(こくようせき)の原石が縄文時代の住居から見つかりました。下鎌田遺跡は長野地方と関東地方の交易の中継地点だったのかもしれませんね。