

昭和47年、高山村の畠で農作業中に、平らな石を敷き並べた跡が見つかりました。翌年、村の教育委員会が発掘調査をしたところ、今から4,000年ほど前の縄文時代の住居が1棟、完全な形で見つかったのです。
この住居は、床に平らな石を敷いた敷石住居で、円形の住居部分と長方形に細長く張り出す出入り口からできています。このような形の住居を柄鏡(えかがみ)形敷石住居といいます。住居の床に敷いた平らな石のすき間には、小さな石を入れて、ていねいにつくっています。中央には石組の炉があります。張出部は住居より一段高くなっています。住居と張出部の連結部には、石囲いがあります。住居から廊下状に平坦な石が二石あり、張出部には板石を立てて囲むようにあり、内側にも石が敷かれています。
この遺跡は、特殊性と完全性を兼ね備えた全国にも類例のないものであるとして、昭和48年に群馬県の史跡に指定され、土地所有者のご厚意により保存されました。現在、3方向をガラス張りにした見学施設があります。
遺跡は民家の中にあります。地元の方、周辺のかたに迷惑のかからないようにしましょう。人に会ったらあいさつを忘れずに。
この遺跡で発見された住居は、柄鏡形敷石住居といいます。柄鏡形の柄鏡とは、鏡と持つ所(柄)が一緒になっている鏡です。この鏡に上から見た住居の平面形が似ているので付けられた名です。敷石は、石が床に敷かれていることから付けられた名です。
このような住居は、関東甲信越地方を中心に、縄文時代中期後半から後期前半(4,000年ほど前)に流行した建て方です。県内では、柄鏡形敷石住居は340棟ほど確認されています。
この遺跡については、『群馬県史』「資料編1、原始古代1(旧石器・縄文)」p703にくわしく書かれています。また、県内の柄鏡形敷石住居跡については、財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団発掘報告書第260集『三ツ子沢中遺跡』に集計されていますので参考にしてください。 この遺跡のある所は、江戸時代の三国街道の中山宿です。国道の信号付近には本陣跡や問屋跡があります。あわせて見学しましょう。