朱塗り壺形土器(しゅぬりつぼがたどき) |
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| 大きく広がる口と丸みを持った胴は。均整がとれ非常に安定している。文様をくびの上下に集中させ、胴に朱が塗った美しい土器である。底は欠けている。 文様は櫛(くし)状の工具の押し引きで描いている。くびの部分には簾(すだれ)状の文様、胴の上の部分は波状の文様。朱を塗った部分との境界は鋸歯(きょし)状の逆三角形で分け、三角形の中は、小さく突いたアナガ列になった文様で埋められている。口にも櫛状工具による文様のあとが残る。文様のない胴は、よく磨いた後に赤い顔料で彩色している。 出土した住居跡からは、甕(かめ)・鉢・台付き甕などが出土した。朱塗土器はこのほかに破片が一つ出土しているのみである。 形から貯蔵用と考えられるが、玄米の保存には小さすぎ、「種籾(もみ)」の保存に使われたものと考えられる。台風などの自然災害や病害虫から稲を守り、来年の豊作や家族・ムラの安泰を祈るため、神聖な色・魔よけの色とされる赤い顔料を塗った壷に、大切な種籾を保存したものであろう。 |
甕形土器群(かめがたどきぐん) |
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| 4個とも胴長で、くびが垂直に立ち上がり、折り返した口に続く土器である。 文様は口から胴上半部に集中する。くびには一つの土器を除き櫛状の工具による簾(すだれ)の、その上下には同じ工具による波状の文様が描かれる。 この甕形土器は煮沸(しゃふつ)に用いられることが多い。写真の中の最大の土器の中からは約二・五合の炭化した米が検出された。冬季の厳しい県北のこの地方でも、弥生時代から水田耕作が行われていたことを示す遺物である。 この土器を出土したT号住居跡は、南北7.16m、東西6.26mbの長方形で、深いところで82cmも掘り下げた竪穴住居である。北寄りの土間には石1個を置いた炉がある。主要な柱は四本で、南側の出入り口は階段になっていたと思われる。その右側に貯蔵用の穴があり、この地方の典型的な弥生時代後期の竪穴住居である。 |
甕形土器(かめがたどき) |
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| 3.4cmと小さな底からたまご型に膨らむ胴の中央に最大径がくる。短い段のある口はやや外に反っている。くびから口にかけて大きいのが特徴である。 胴にはハケで整形した跡を残し、肩の部分には一列に突いた文様が施される。胴の外側に「オコゲ」が多量に付いていて、煮沸(しゃふつ)用の土器である。 上の土器と同じ住居の中から一緒に出土したが、形、文様とも他の土器とは異なっている。 この土器と共通するのは、北陸地方の南西部を中心に分布する「法仏(ほうぶつ)式土器」と呼ばれる土器群である。どのような経路で群馬に入ってきたのか不明であるが、当時の交易の一端を物語ってくれる。 出土場所は多くの土器が置かれていた入り口右側のコーナーで、この土器が特殊な使用方法をされていた可能性はない。 |
台付き甕(だいつきかめ)・台付き片口土器(だいつきかたくちどき) |
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| 台付き甕は小さめの台の上に浅めの甕が乗るバランスのとれた形をしている。外に開く口から胴にかけて、櫛状の工具による押し引きで、波模様と簾状の文様が描かれている。 台付片口土器の脚(きゃく)は下がやや広がり、胴から口にかけて内側に湾曲する斬新(ざんしん)なデザインである。注ぎ口は小さな片口が1カ所付く。文様はないが、内外面ともヘラを使ってよく磨かれている。 二個とも9号住居跡から出土。ほかにも十数点の土器が出土している。ほとんどは、弥生時代後期の樽式土器の特徴をもつものである。 |