壺形土器(つぼがたどき) |
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| 荒口前原遺跡は、標高102mの荒砥川左岸に形成された河岸段丘の突端にある。鶏舎工事中に発見された遺跡である。 球形に膨らむ胴と外に開く厚めの口が、不思議な安定感を醸し出している。 厚くした口と口の縁には縄文が施され、くびには等間隔に、櫛(くし)状の工具を使った簾(すだれ)状の文様がある。胴の真ん中にはヘラによる同心円を4箇所に描いている。 この土器は、これまでのハケによる文様を主とする土器から一段階新しい土器形式で、やはり中部地方から伝わり定着した「竜見町式土器」と呼ばれている。簾状の文様をはじめ、この土器に見られる同心円文や渦巻文などの奇抜な文様、呪術(じゅじゅつ)を意識させる鳥の足に似た文様などが流行するのが特徴である。 |
壺形土器(つぼがたどき) |
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| やや小さめな底、胴は大きく張り出し、中央部に最大径をもつ。ゆるやかにすぼむくび、外に開く口など、バランスのとれた美しい土器である。 文様は首と胴の上半部に施されているだけである。それもくびの下に二本の線を巡らせ、その下に垂らした鳥の足のような文様が細い線で描かれているにすぎない。 鳥の足に似た文様は、この時期の土器に比較的多く描かれているが、何を意味するの不明である。 土器には奇抜な文様が描かれることは既に述べたが、一緒に出土したほかの十数個の土器で、同じ文様を施しているものはほとんど見られなかった。土器の形や用途に応じて文様を描き分けていた可能性がある。 一つ一つの文様に、当時の人々の祈りや畏怖(いふ)の念が込められているとは考えられないだろうか。 |
壺形土器(つぼがたどき) |
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| たまご型をした長めの胴に、椀(わん)をのせたような口をもつ、均整のとれた大型の土器である。 太いシノを半裁した道具で付けた文様と縄文が、土器の上下それぞれ二つの部分に分かれている。口から胴上部には半裁したシノでつけた文様、胴下半分には縄文が施されている。。 この土器の文様は、北陸地方から東北南部にかけて分布する「山草荷(やまそうか)式土器」の特徴がある。県外から搬入されたものであろう。 川場村はこの時代の土器を多く出土する地域として知られている。薄根川を遡(さかのぼ)り、花咲(はなさく)峠を越え、片品村戸倉から尾瀬の三平峠を越えると福島県会津地方へ抜けられる。稲作により定住生活が一般化してきたといわれるこの時期の交流を示す好資料である。 この土器は耕作中に偶然発見されたため、残念ながら遺跡の性格などは不明である。 |
人形土器(ひとがたどき) |
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| 縄文時代の土偶が抽象的な表現であるのに対し、この人形土器はどことなく写実的な人間臭さを感じさせる。 器面はよく研磨されているが、文様は一切なく、粘土のはり付けや孔(あな)を穿(うが)って顔面を表現している。 頭には額の上に突起のある冠を表現し、鼻孔を穿った大きく高い鼻、やや受け口に表現した唇、左に2個。右に3個の小孔を穿った大きな耳、やや上向きに遠くを見つめるような大きな目など、非常に写実的な表現が特徴である。 顔の下は両腕(左腕は欠損)以外表現せず、中空な作りであるが、内面の整形は粗く容器として使用されたものではないようである。 墓近くの出土であることや、顔面の一部や手首から指にかけて赤い顔料の彩色が残されていることから、被葬者へ供献されたものであろう。ムラオサであった被葬者の生前の姿を彷彿させる土器である。 |