壺形土器(つぼがたどき) |
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| 金丸(かなまる)遺跡は、赤城山南麓に延びる標高420mの丘陵先端にあり、耕作中に発見された。 上部は底からゆるやかな膨らみを見せながら立ち上がり、肩の張る胴からほぼ垂直に伸びたくび、やや外に開く口など均整のとれた土器である。 厚くした口には縄文を施し、その上から半裁したシノを突き刺した「三日月状」の文様を付けている。くびには櫛歯状の工具で横方向の文様を、胴には同じ工具で縦方向に羽状の文様を施している。胴の下半分にはこれらの文様を描く前に、ハケで整形した斜め方向の跡が残っている。 この土器の文様は吾妻町の岩櫃山遺跡出土の土器と共通点がみられ、この土器型式が赤城山山麓にまで分布していたことを示している。偶然の発見で遺構の性格は不明であるが、同種の土器が5個も出土していることから再葬墓の可能性が高い。 |
彩色土器(さいしきどき) |
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| 同じ遺構の中から、高さ五十aを超える大型の壺形土器十数点に交じって出土した、小型の土器二点である。ともに赤い顔料で彩色され、小さいながらも精緻な作りである。 筒形土器の文様は縄文地にへらによる線で、長方形の区画を四段に六カ所描いている。区切られた文様部分以外の縄文は磨(す)り消している。口には焼く前に開けられた一対の小さな穴がある。 壺形土器は口からくびにかけて、ヘラで突いた文様が横に4列、胴にはヘラによる幾何学文が描かれている。小さいながらも、手のこんだ構成を見せている。 七日市観音前遺跡は、高田川右岸の氾濫原(はんらんげん)を望む、下位河岸段丘上の標高173mにある。この土器が出土した遺構は3.2m×3.4mの方形の竪穴(たてあな)遺構で、炉もなく住居跡と断定できず、祭祀(さいし)または墓に関する遺構と考えられる。 この小型土器は赤い顔料が塗られていること、大型の壺が再葬に使われたと考えられることなどから、祭祀や墓へ供えられた特殊な土器であろう。 |
筒形土器(つつがたどき)・壺形土器(つぼがたどき) |
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| 緩やかなカーブを描く筒型土器(左)は女性的でコケシを連想させる。壷型土器は、くびより上を復元したものだが、さらに柔らかく丸みのある胴を持っている。 文様は、共に縄文を地文とし、その上を線で描いている。筒形土器は、土器面全体がよく磨かれ、口からくびにかけては、線で区画された中の縄文を刷り消している。縄文時代後期の土器の特徴を引き継いだものである。 壺形土器は胴から首にかけては、縄文の上に平行した線で、三本の帯状の文様を描いている。上下は三本の平行線、中央の文様は、縦の長方形の線を五本描き、それらを五〜六本の線が曲線で結んでいる。ともに縄文は磨り消されている。二つの土器は、東関東の「野沢T式土器」の特徴が見られる。 これらの土器は、標高180mの物見山丘陵先端の、雨で崩れた道のわきから偶然発見された。詳しい出土状態は不明であるが、墓穴からの出土といわれている。 |
袋形土器(ふくろがたどき) |
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| 規則的な形の多い弥生式土器の中で、ポシェットを連想させる珍しい形の土器である。壺を両手でつぶしたような楕円形の口は大きく反り返っている。口の部分に二対の小さな穴が開けられており、ひもを通して住居の梁(はり)などにつるして使用していたことが想像される。 文様はくびの部分に一本の線を巡らせ、胴の広い面には線画による上下対象の文様が描かれている。 縄文時代から古墳時代にかけて、革袋や籠(かご)などを想像させる土器がしばしば出土するが、この弥生式土器もそのひとつで、土器づくりの規範を放れたおおらかな造形意欲を感じさせて楽しい。 文様の構成は「須和田式土器」の影響が認められる。 |