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肩に鷹をとまらせる男子埴輪(かたにたかをとまらせるだんしはにわ) |
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器台・足を別個体とする大形の全身像である。「鷹匠(たかしょう)埴輪」と呼ばれているが、すでにこの時代、「鷹匠」として専業職化していたかどうかは明らかではない。手首に手甲(てっこう)をはめ、腰に大刀と鞆(とも)をつり下げ、頭に鍔広帽(つばひろぼう)を被っている姿は、狩猟装備をした貴人を思わせる。「鷹を使う盛装の男子」とする方が妥当かもしれない。涼しげな目、小さく締まった口元、鼻筋が通り、端正で気品に満ちた顔立ちをもつ。 |
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2体とも馬具を装着した飾り馬で、1号より2号がひとまわり大きい。 馬具を見ると、鐙(あぶみ)は1号が壺(つぼ)鐙であるのに対し、2号は輪鐙であり、また、鈴の有無など多少の差はあるものの、全体的には類似した装備、形をしている。
体形面では、二体とも顔を体側へ引き気味にし、立派なたてがみをもち、足の長い均整のとれたスマートな形をしている。腹部後方には小突起(2号ははく離痕)があり、2体とも雄馬を表現している。両者の差としては、1号が尻高なのに対し、2号は背から尻、後足へと素直な曲線を描いている。また、1号がやや細身で俊敏な感じを受けるのに対し、2号はふくよかで柔和である。 群馬県という名の通り、馬形埴輪の出土例は多いが、その中でもこの埴輪は最大級である。これほど大型の馬形埴輪は、つくった技術もさることながら、古墳時代人の葬送に対する姿勢の表れともみられる。(村田喜久夫) |
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象嵌というと埼玉県の稲荷山古墳から出土した、金象嵌銘鉄剣(きんぞうがんめいてつけん)が一番に思い出されるが、そういった文字による象嵌とは別に、柄頭や鍔(つば)の部分に金・銀象嵌で装飾した鉄製の大刀が、6世紀後半から7世紀初めの古墳から数多く発見される。柄頭はほとんどが円頭形である。
筑波山古墳の柄頭も円頭形である。全面に亀甲繋鳳凰文(きっこうつなぎほうおうもん)と称される銀象嵌の文様が施されている。この文様のモチーフは、六角形のそれぞれの頂点にあたるところを二重の円で表現し、その頂点を結ぶ各辺を三本の直線でつなぐものである。柄頭の縁近くにあけられた穴を取り囲む亀甲の中には、翼を広げた1羽の鳥が頭を右に向けて描かれている、鳳凰である。翼の両端は頭の上で連結してハート形になる。この柄頭と一緒に出土した鍔にはC字形の文様が、刀身には柄に近い位置に開けられた穴のまわりに、花文様の象嵌が装飾されていた。柄頭と一連の大刀と思われる。(徳江秀夫) |
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環頭大刀の中で環の内側を2匹の龍で飾られているものを双龍環刀大刀という。二ツ山1号古墳の柄頭(つかがしら)には、向かい合った龍が互いの口で争うようにして玉(ぎょく)をかんでいる様子が表現されている。鋳造品である。龍の表現は写実性がだいぶ薄らでいる。が、さらに製作時期が新しくなり扁平な銅板に透かし彫りされた龍と比較すれば、半肉彫りの目や頭の上の冠毛や、角に多少厚みが残っている点から、国産の双龍環頭大刀の中では古い時期のものであることがうかがえる。
環の内側に沿って細かな刻み目がめぐる。本品は鍍金(メッキ)で仕上げられているが、かつて金箔を環に重ね合わせて留めていたときの刻み目のなごりである。環の上の龍の文様は、刀を製作した工人たちに細かく理解されなかったこともあり、どんどん写実性を失っていった。しかし、この刻み目は、この形の大刀が姿を消す直前まで文様として残される。(徳江秀夫) |
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古墳時代後期に、冠が首長層の間でもてはやされたことは、人物埴輪に数多く表現されていることからもわかる。最も古い例は5世紀後半の熊本県の江田船山古墳である。冠流行の動きは六世紀後半にもう一度訪れる。藤ノ木古墳が有名であるが、関東地方でもその例が多い。
山王金冠塚(さんのうきんかんづか)古墳(前方後円墳、墳丘長56m)はその代表であり、全体のかたちがよくわかる全国でも数少ないものの一つである。山の字を重ねたような立ち飾り5個を、基部の銅板に鋲留(びょうどめ)してかたちをつくり、連続的な点の打ち出しにより、細部の文様を描き出している。さらに銅線を撚(よ)った先に歩揺(ほよう)を適当な間隔で下げている。冠を付けて歩くと、この歩揺がひらひらと動き、光に当たってきらきらと輝いたわけである。 この冠とよく似たものが、韓国の梁山夫婦塚古墳から出土しており、東京国立博物館に置かれている。冠の源流を考えていく上で参考になる資料である。 |