鶏形土製品(にわとりがたどせいひん) |
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前橋市公田町で行われた県道前橋・長瀞線に伴う発掘調査で発見された。前方後方形周溝墓の溝からの出土であり、本来は墳丘上にあったものが転落したものと推定されている。
埴輪は中を空洞にしてつくるのが一般的だが、これは粘土の塊を鶏形に造形している。鶏形と言っても、それほど写実的なものではなく、頭頂部の鶏冠(とさか)と、とがった嘴(くちばし)によりそれとわかるものである。雄鶏か雌鶏かが問題になるが、鶏冠がよく発達していることから、雄鶏と考えて間違いないであろう。なお、背の中央から腹にかけて縦に貫通する孔(あな)があけられていた。竿(さお)のような棒の先に留めて立てられていたことが推測される。 雄鶏は、「時告鳥(ときつげどり)」「常夜(とこよ)の長鳴き鳥」などとも呼ばれ、闇夜(やみよ)が明けるのを告げることから転じて、死者を再生させる儀式の中で重要な役割を占めていた。被葬者の再生を願って、その家族が遺体のかたわらに立てかけたのであろう。 |
壺形土器(つぼがたどき) |
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元島名将軍塚(もとしまなしょうぐんづか)古墳は、墳丘全長90mの前方後方墳で明治四十四年に偶然、埋葬施設が発見された。この時、鏡・釧(くしろ=腕輪)などが出土し、現在、東京国立博物館に所蔵されている。
壺形土器は昭和五十五年、小規模圃場(ほじょう)整備事業に伴う事前発掘調査で、周堀内から発見された。墳丘部から落下したものであろう。この壺形土器は、十数個発見されたなかの一つ。胴が球形で口縁部が二重になっており、胴の上からくびにかけて櫛(くし)状工具で、平行線と波状の文様が施されている。また、くびに粘土ひもで文様を付け櫛状工具で穴を開けた文様を施している。 写真ではわかりにくいが、口縁内側に赤い色が少し残っており、つくられた当時は、かなりきれいな土器であったと思われる。土器の底は焼かれた後に丸く穴があけられている。葬送儀礼用の土器である。 (神戸聖語) |
鶏形埴輪(にわとりがたはにわ) |
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太田市西南部を流れる石田川の左岸で発見された。
鶏冠が発達しているのと、頬(ほお)から肉髯(にくぜん)と呼ばれる襞(ひだ)が下がっているのは、雄鶏の特徴である。嘴(くちばし)は線刻により上下の境を表しており、実際の鶏をモデルに忠実に作っているのがわかる。 表面は全体がベンガラにより真っ赤に塗られている。この赤は実際に赤い鳥がいたことを意味しているのではない。弥生時代から古墳時代にかけて、この赤色が神聖なものとして重視されたことによる。儀礼の中で重要な役割を果たしたこの鶏に、一層の呪術(じゅじゅつ)的効果を期待したためであろう。 |
三角縁五神四獣鏡・四神四獣鏡(さんかくぶちごしんしじゅうきょう・ししんしじゅうきょう) |
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三国時代の魏(ぎ)から邪馬台国(やまたいこく)にもたらされた鏡と考えられており、古墳時代前期の列島内各地の有力古墳から出土する。現在までに全国各地で三百面以上の出土があるが、そのうちの圧倒的な部分が近畿地方に集中し、次に瀬戸内海沿いの中国・四国地方と北部九州に広がる。そのため、これらの鏡は、ヤマト政権との政治的関係を深めた各地の首長に、政権から下賜されたものと考えられている。
東日本では、愛知・岐阜・静岡県の地域に比較的多く認められるが、それより東に行くと各県1ないし2面がせいぜいで、むしろ確認されていない県の方が多い。そのような中で、群馬県は12面の存在が知られている。 鏡の特徴としては、周縁の部分の断面が三角形を呈するもので、内区と呼ばれる中心寄りの文様帯が複数の神像と獣で飾られる。内区の文様を見ると1面は五神四獣で、もう1面は四神四獣である。国指定重要文化財。写真は前橋市教育委員会所蔵の複製である |