【古 墳 時 代 ・ 目 次】
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古墳時代トップ
鶏形土製品(にわとりがたどせいひん)…前橋市公田東遺跡
船形木製品(ふながたもくせいひん)…前橋市元総社寺田遺跡
壺形土器(つぼがたどき)…高崎市元島名将軍塚遺跡
鶏形埴輪(にわとりがたはにわ)…太田市石田川遺跡
三角縁五神四獣鏡・三角縁四神四獣鏡(さんかくぶちごしんしじゅうきょう・さんかくぶちししんしじゅうきょう)…前橋市天神山古墳
銅鏃(どうぞく)…太田市頼母子古墳
器台形埴輪(きだいがたはにわ)…玉村町下郷天神塚古墳
三角縁同向式四神四獣鏡(さんかくぶちどうこうしきししんしじゅうきょう)…高崎市蟹沢古墳
三角縁竜虎画像鏡(さんかくぶちりゅうこがぞうきょう)…富岡市北山茶臼山古墳
方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)…富岡市北山茶臼山西古墳
四獣鏡(しじゅうきょう)…富岡市北山茶臼山西古墳
狩猟文鏡(しゅりょうもんきょう)…高崎市
三角縁獣文帯四神四獣鏡(さんかくぶちじゅうもんたいししんしじゅうきょう)…板倉町赤城塚古墳
重圏文鏡(じゅうけんもんきょう)…吉井町神保下條遺跡
須恵器直口壺(すえきちょっこうつぼ)…新里村峯岸遺跡
石製模象品(せきせいもぞうひん)…高崎市剣崎天神山古墳
高床倉庫家形埴輪(たかゆかそうこいえがたはにわ)…藤岡市白石稲荷山古墳
甲冑形埴輪(かっちゅうがたはにわ)…藤岡市白石稲荷山古墳
三角板革綴短甲(さんかくいたかわとじたんこう)…高崎市剣崎長瀞西古墳
金製垂飾付き耳飾り(きんせいすいしょくつきみみかざり)…高崎市剣崎長瀞西遺跡10号古墳
高坏形埴輪(たかつきがたはにわ)…赤堀町茶臼山古墳
椅子形埴輪(いすがたはにわ)…赤堀町茶臼山古墳
家形埴輪群(いえがたはにわぐん)…赤堀町茶臼山古墳
石製模象品(せきせいもぞうひん)…前橋市舞台遺跡1号古墳
須恵器把手付きわん(すえきとってつきわん)…渋川市空沢13・37号古墳
土師器短頚壺、坏(はじきたんけいつぼ、つき)…渋川市空沢41号古墳(短頚壺)
鋲留式甲冑(びょうどめかっちゅう)…太田市鶴山古墳
画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)…大泉町古海原前1号古墳
冠をかぶるあぐらの男子埴輪(かんむりをかぶるあぐらのだんしはにわ)…高崎市八幡原町出土
金銅製飾履(こんどうせいしょくり)…箕郷町下芝ツ古墳
狩りの場面をあらわす埴輪群(かりのばめんをあらわすはにわぐん)…群馬町保渡田VII遺跡
腰に猪を吊す男子埴輪(こしにいのししをつるすだんしはにわ)…群馬町保渡田
冠をかぶるあぐらの男子埴輪(かんむりをかぶるあぐらのだんしはにわ)…群馬町保渡田VII遺跡
馬形埴輪(うまがたはにわ)…群馬町保渡田VII遺跡
馬形埴輪(うまがたはにわ)…粕川村白藤古墳群V-4号古墳
馬形埴輪(うまがたはにわ)…粕川村白藤古墳群P-6号古墳
むかいあう人物埴輪群(むかいあうじんぶつはにわぐん)…尾島町世良田諏訪下遺跡3号古墳
馬ひきの男子埴輪と馬形埴輪(うまひきのだんしはにわとうまがたはにわ)…尾島町世良田諏訪下遺跡3号古墳
鞆形埴輪(ともがたはにわ)…伊勢崎市恵下古墳
盾形埴輪(たてがたはにわ)…前橋市前二子古墳
各種勾玉、玉類(かくしゅまがたま、たまるい)…安中市簗瀬二子塚古墳
子持ち勾玉(こもちまがたま)…群馬町三ツ寺I遺跡
須恵器四神飾り付き器台(すえきししんかざりつききだい)…前橋市前二子古墳
形象埴輪群(けいしょうはにわぐん)…太田市塚廻り4号古墳
大刀を持つ女子埴輪(たちをもつじょしはにわ)…太田市塚廻り4号古墳
坏を捧げる女子埴輪(つきをささげるじょしはにわ)…太田市塚廻り4号古墳
ひざまづく男子埴輪(ひざまづくだんしはにわ)…太田市塚廻り4号古墳
坏を持ち椅子に腰掛ける女子埴輪(つきをもちいすにこしかけるじょしはにわ)…太田市塚廻り3号古墳
椅子に腰掛ける男子埴輪(いすにこしかけるだんしはにわ)…太田市塚廻り3号古墳
馬ひきの男子埴輪と馬形埴輪(うまひきのだんしはにわとうまがたはにわ)…太田市塚廻り4号古墳
人の乗る馬形埴輪(ひとののるうまがたはにわ)…太田市赤城養護学校太田分校敷地内所在古墳
挂甲をつけた武人埴輪(けいこうをつけたぶじんはにわ)…箕郷町上芝古墳
坏を持つたすき掛けの女子埴輪(つきをもつたすきがけのじょしはにわ)…箕郷町上芝古墳
犬形埴輪(いぬがたはにわ)…境町剛志天神山古墳
猪形埴輪(いのししがたはにわ)…境町剛志天神山古墳
挂甲をつけた武人埴輪(けいこうをつけたぶじんはにわ)…榛東村高塚古墳
人物埴輪群(じんぶつはにわぐん)…高崎市観音山古墳
三人童女(さんにんどうじょ)…高崎市観音山古墳
皮袋を捧げ持つ女子埴輪(かわぶくろをささげもつじょしはにわ)…高崎市観音山古墳
挂甲をつけた武人埴輪(けいこうをつけたぶじんはにわ)…高崎市観音山古墳
振り分け髪の男子埴輪(ふりわけがみのだんしはにわ)…高崎市観音山古墳
馬ひきの男子埴輪(うまひきのだんしはにわ)…高崎市観音山古墳
銅製水瓶(どうせいすいびょう)…高崎市観音山古墳
頭椎大刀(かぶつちのたち)…高崎市観音山古墳
銀象嵌大刀(ぎんぞうがんたち)…高崎市観音山古墳
金銅製心葉形透彫杏葉(こんどうせいしんようがたすかしぼりぎょうよう)…高崎市観音山古墳
獣帯鏡(じゅうたいきょう)…高崎市観音山古墳
金銅製鈴付き大帯(こんどうせいすずつきだいたい)…高崎市観音山古墳
須恵器有蓋台付き壺(すえきゆうがいだいつきつぼ)…高崎市観音山古墳
金銅製単鳳環頭大刀(こんどうせいたんぽうかんとうたち)…玉村町小泉大塚越3号古墳
銅製馬齢(どうせいばれい)…玉村町小泉大塚越3号古墳
単鳳環頭大刀(たんぽうかんとうたち)…藤岡市平井地区1号古墳
円頭大刀(えんとうたち)…藤岡市平井地区1号古墳
帽子形埴輪(ぼうしがたはにわ)…藤岡市平井地区1号古墳
大刀形埴輪(たちがたはにわ)…藤岡市平井地区1号古墳
金銅製単龍環頭大刀(こんどうせいたんりゅうかんとうたち)…藤岡市甲子塚古墳
猿付き円筒埴輪(さるつきえんとうはにわ)…前橋市後二子古墳
家・器財埴輪群(いえ・きざいはにわぐん)…吉井町神保下條2号古墳
人物・動物埴輪群(じんぶつ・どうぶつはにわぐん)…神保下條2号古墳
振り分け髪の男子埴輪(ふりわけがみのだんしはにわ)…吉井町神保下條2号古墳
肩に鷹をとまらせる男子埴輪(かたにたかをとまらせるだんしはにわ)…太田市オクマン山古墳
馬形埴輪(うまがたはにわ)…伊勢崎市蛇塚古墳
銀象嵌大刀(ぎんぞうがんたち)…板倉町筑波山古墳
金銅製双龍環頭大刀(こんどうせいそうりゅうかんとうたち)…新田町二ツ子山1号古墳
金銅製冠(こんどうせいかんむり)…前橋市山王金冠塚古墳
金銅製大帯(こんどうせいだいたい)…前橋市山王金冠塚古墳
挂甲をつけた武人埴輪(けいこうをつけたぶじんはにわ)…太田市強戸出土
冠をかぶる男子埴輪(かんむりをかぶるだんしはにわ)…伊勢崎市八寸
冠をかぶる広帯の男子埴輪(かんむりをかぶるこうたいのだんしはにわ)…大泉町古海
琴をひく男子埴輪(ことをひくだんしはにわ)…前橋市朝倉
帽子をかぶる正装の男子埴輪(ぼうしをかぶるせいそうのだんしはにわ)…太田市由良
鍬を担ぐ男子埴輪(くわをかつぐだんしはにわ)…太田市脇屋
挂甲をつけた武人埴輪(けいこうをつけたぶじんはにわ)…太田市飯塚
鈴鏡をつけ椅子にすわる女子埴輪(れいきょうをつけいすにすわるじょしはにわ)…大泉町古海
踊る埴輪(おどるはにわ)…群馬県内
五鈴鏡(ごれいきょう)…昭和村川額群原I遺跡鍛屋地2号古墳
承台付き銅鋺(うけだいつきどうわん)…高崎市観音塚古墳
金銅製心葉形透彫杏葉・鉄地金銅張花形杏葉(こんどうせいしんようがたすかしぼりぎょうよう)…高崎市観音塚古墳
銀製鶏冠頭大刀(ぎんせいけいかんとうたち)…高崎市観音塚古墳
五鈴鏡(ごれいきょう)…高崎市観音塚古墳
七鈴鏡(しちれいきょう)…高崎市下佐野西光寺隣接地
馬形埴輪(うまがたはにわ)…太田市藤阿久
金銅製単龍環頭大刀(こんどうせいたんりゅうかんとうたち)…桐生市加茂神社塚古墳
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縄文時代
弥生時代
飛鳥・奈良・平安時代
一九三八(昭和十三)年に群馬県は『上毛古墳綜覧』を刊行した。これは県下に分布する大小の古墳の戸籍台帳にあたるものである。約八千五百基の古墳が登録され、それ以来『古墳王国』の名が全国的に広まった。
古墳とは一つの地域に登場してきた政治的支配者、すなわち豪族とか有力な首長などとよばれる特定の人物の墳墓のことである。円墳や方墳が多いが、日本ではとりわけ円墳に四角い壇が接続した形の前方後円墳が重要視されている。近年、古墳時代を「前方後円墳の時代』とか「前方後円墳体制」と呼んで、前方後円墳の出現と発展に注目している。それは近畿地方を中心に成立した、大和王権の大王たちの墳墓が前方後円墳であったことに由来している。
群馬県下においても各地で前方後円墳が出現し、有力な首長たちは中央の大王権力の墓制と同じ墓づくりをしていたことが明らかである。太田市にある天神山古墳は群馬県下最大の古墳であるばかりか、東日本最大の大型前方後円墳なのである。この天神山古墳の後円部には、凝灰岩製の長持型石棺の一部が顔を出している。伊勢崎市お富士山古噴でも同型式の石棺を見ることができる。西暦四、五世紀の大王陵と推定される大阪府の津堂城山(つどうしろやま)古墳、大山(だいせん)古墳とで、この長持型石棺が採用されているので、九州地方から南東北地方の五世紀ごろの各地の有力な首長たちは、好んでこの長持型石棺を用いたと思われる。それが単なる墓制の流行というより、長持型石棺がステイタスシンボルであったようである。
前方部が極端に短く、昭和初期に箕郷町上芝古墳調査にかかわった柴田常恵が、帆立貝式古墳の名を付けた墳丘は五、六世紀代に出現する。これは太田市女体山古墳のように、巨大な天神山古墳に従属する位置関係にあり、五世紀代の首長層の中にも重層的な階層関係があったのかもしれない。
関東地方の中でも群馬県の古墳文化の優位性は、四世紀代の前期古墳の中にもみとめられる。前橋八幡山古墳は全長百二十メートル、高崎元島名将軍塚古墳は九十メートルの前方後円墳であり、どちらかといえば被葬者はもとからこの毛野の地にいたと思われる。それに対して前橋天神山古墳は全長百二十九メートル、玉村下郷天神塚古墳は全長八十メートルという前方後円墳であり、先進的な中央の王権との関係の強弱・濃淡が、首長墳墓規模や形態にまで影響を及ぼしているのかもしれない。
五世紀代には高崎市東部に大型古墳が出現する。倉賀野浅間山古墳は墳丘が百七十六メートル、倉賀野大鶴巻古墳が百二十四メートル、藤岡市では百四十メートルの白石稲荷山古墳、太田市周辺ではすでに指摘した天神山古墳など、毛野の各地に有力な大古墳が築造された。