石冠群(せっかんぐん) |
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| 矢瀬(やぜ)遺跡ではいくつかの石冠が出土している。石冠とは、かつて埋葬された人骨の頭部近くから出土したことから呼ばれたものであり、本来の被(かぶ)りものを意味した名称ではない。 石冠の原形は男性器を表した石棒頭部の造形物で、底に凹みがあるものが多く、中期に出現する。矢瀬遺跡の出土例は晩期のものと思われ、原形に近いものもあるが、これには底に凹みの造形がない。ほかの二例も底の凹みが欠落しており、しかも石棒の頭部になるところは磨製石斧(せきふ)の刃に変化している。 このように、石棒の造形が石斧の刃の造形に変化することはほかの遺物にも例があり、両者には共通した男性原理の意識があったことになる。一方、底の凹み穴は女性原理の象徴的な造形であることから、石冠は男女両性を具有した呪術(じゅじゅつ)具ということになる。このように、縄文時代の呪術具の中には男女の性器を抽象化した造形物が多い。晩期。 |
土製耳飾り群(どせいみみかざりぐん) |
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| 耳飾りは晩期になると大型化するとともに、透かし彫りなどの技巧を凝らした美術的にも価値のある優品が多くなる。この大型耳飾りは関東地方の各地で出土例がある。製作に熟練を要することから、特定の工人集団が各地に配っていたのではないかとの意見もあるが定かではない。しかし、少なくとも千網谷戸(ちあみがいと)遺跡では、製作時にでる削りかすが出土していることから、明らかに遺跡内で製作されたことが証明されている。 縄文人の身体装飾は、身を飾ることによって身体におよぶ災いを避ける意味をもっていると思われる。そうだとすると、精神文化に費やした技術や労力の大きさには驚くものがある。この大きな耳飾りは、耳たぶにあけた大きな穴にはめ込んで装着するようになっており、裏側にはやや小さな円環状の装着部分がつくられている。国指定重要文化財。晩期、安行(あんぎょう)IIIc式土器併行期。(能登 健) |
石製首飾り(せきせいくびかざり) |
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| 千網谷戸(ちあみがいと)遺跡では耳飾りやヘアピンなど数多くの装飾品が出土しているが、そのなかで、さまざまな形をした首飾りが出土していることはあまり知られていない。いずれも近くの河原にある普通の石を利用したものだ。 水流に侵食されながら平らになった小さな石。小玉状に丸くなった石。河原にたたずむと何となく拾い集めたくなるような石だ。縄文人たちは、これらの石を集落に持ち帰ってコツコツと穴を開けたのだろう。なかには、古墳時代の勾玉(まがたま)を思わせるものがある。この形状の玉は土製品にもあるものだ。X字状の造形は蝶をイメージしたものだろうか。 これらの石が組み合わされて連結されたものか、それとも一つ一つがペンダント状に胸元を飾ったものかは分からない。しかし、縄文人の精神構造から考えると、身を守るための身体装飾だったのだろう。晩期。 |
容器形土偶(ようきがたどぐう) |
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| 晩期の土偶は、土器と同じように細長く板状に延ばした粘土を、輪にして積み重ねてつくられるため、内部が空洞に仕上げられ容器形になるものが多い。この製作技法は、東北地方に分布する亀ケ岡式土器に伴う土偶の影響が伝わったものである。身体に施された文様も亀ケ岡式土器と同様の文様が描かれている。しかし、細部の造形は東北地方の規範から逸脱した部分が多く、関東地方でつくられたものであることが分かる。 女性としての特長は乳房のみで表現され、それを除くと男女の区別ができない。目から頬(ほお)にかけて下がる文様が描かれているが、入れ墨か化粧かの区別はつかない。土偶のなかにしばしばみられるモチーフであり、縄文人が好んだ身体装飾の一部であろう。顔の造形は、あたかも仮面を着けたもののようにも見える。しかし、顔を象徴的に大きくした造形の可能性もある。晩期、安行(あんぎょう)式土器併行期。 |
多頭石斧(たとうせきふ) |
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| 八木沢清水遺跡は小野子山南麓の中腹にあり、小規模な縄文時代の集落遺跡である。縄文時代草創期の竪穴住居が発掘され、県指定文化財として保存されている。この多頭石斧は、その住居の発掘以前に土地所有者によって採集されていた。 真ん中の円形の穴のまわりに四つの磨製(ませい)石斧の刃がつけられていることから多頭石斧と呼ばれている。まわりに石斧状の出っ張りがない場合は環状石斧という。縄文時代の終末期につくられるが、弥生時代になっても残る。八木沢清水遺跡では弥生時代中期の土器が出土していることから、その時期のものである可能性もある。 古くは、真ん中の穴に棍棒(こんぼう)を差し込んで使用した武器だとの見解があったが、現在は男女両性を象徴した呪術(じゅじゅつ)具との説が有力である。すなわち、真ん中の穴が女性原理で、周りの斧(おの)の部分が男性原理を表していると思われる。縄文時代晩期から弥生時代中期。 |