土器群(どきぐん) |
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| 千網谷戸(ちあみがいと)遺跡は関東地方の縄文時代晩期を代表する遺跡であり、晩期終末期の「千網式土器」の標識遺跡でもある。写真は晩期初頭の型式を示す土器群である。 関東地方の後期の土器群は、地域性を示す独自の文様構成をもっていたが、晩期になると急激に東北地方の亀ヶ岡系土器群の影響を濃くしていく。千網谷戸遺跡は北関東に位置することから、その傾向は強くなっている。文様構成は土器の上半部に集中する傾向があり、それぞれ数段の文様帯によって構成される。この文様帯は細かい縄文を地文にして、その上に弧状の曲線を描き出している。また、この線の末端には三叉(さんさ)状の文様が配置されることも特徴である。 縄文時代各期の変換期には、隣りあった地域間の文化要素が入り交じることがある。爛熟(らんじゅく)した東北地方の亀ヶ岡土器文化が外部に拡散したことになるが、その背景については未だ解明されていない。晩期、安行(あんぎょう)IIIa式土器。 |
土製耳飾り(どせいみみかざり) |
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| 上の写真中央右よりの耳飾り。茅野(かやの)遺跡で出土した耳飾りの多くは晩期のものであるが、その中でひときわ大きい耳飾りの造形技法は注目される。この耳飾りは、透かし彫りの技法を駆使した優品であり、破損して出土した一部分から全体を復元したものである。優美な曲線で構成されたモチーフは現代的な感覚にもマッチするようだ。 この大型透かし彫り耳飾りは、粘土を削り取りながら極めて薄手に仕上げられており、完形で出土する例が少ない。かつて、破片での出土例から全体を想定するにすぎなかったが、東京都の下布田(しもふだ)遺跡で完形品1点が出土したことによって注目されはじめた。その後、群馬県の千網谷戸(ちあみがいと)遺跡で数点が同時に出土して反響を呼んだ。3遺跡とも国指定重要文化財に指定されている。晩期、安行(あんぎょう)IIIc式土器併行期。 |
耳飾りをつけた土偶頭部(みみかざりをつけたどぐうとうぶ) |
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| 土偶は女性像であり、しばしば耳飾りを着けているものがある。これらの耳飾りは耳たぶに大きな穴をあけて、そこにはめ込むようにして装着する。直径の違いは、耳たぶの穴の大きさの違いを示している。 最初は耳栓と呼ばれる細長い筒状の耳飾りを付けておき、だんだんと大きな物にしていくことによって、耳たぶの穴を広げていったらしい。円環形の耳飾りはそのまま装着するが、大きな耳飾りの裏側には耳たぶに装着するための輪が付けられており、その部分を装着するようになっている。装着部の最大直径は5cm前後の大きなものもある。 縄文人はいろいろな身体装飾を持っていた。これらの装飾は身を飾るというよりも身を守るための祈りであると思われる。国指定重要文化財。晩期、安行式土器併行期。 |
狩猟文石(しゅりょうもんせき) |
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| 形を整えるためにやや加工しているが、ほとんど自然のままの平らな石に、弓矢を持った人が描かれている。石質は軟らかく、細い線刻で描かれている。 矢瀬(やぜ)遺跡は、利根川の右岸に接して立地する後期から晩期にかけての集落遺跡である。利根川には鮭が遡(そ)上する。背後の山には豊富な動植物。矢瀬遺跡は豊かな縄文ムラをイメージさせた。その中での狩猟画の発見は大きな注目を浴びている。 これまでに、土器片や石に描かれた弓矢を持った人の絵は全国でも数例の発見例があった。しかし、あまりにも稚拙な構図であることと、正式な発掘調査での発見ではなかったために、その信憑(しんぴょう)性が論議されていた。これに対して矢瀬遺跡のものは明らかに発掘調査によって発見された例としても注目されている。今後、これを機会にして、縄文絵画の研究が本格的に進められていくだろう。後期から晩期。 |