縄文時代
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玉斧、けつ状耳飾り(ぎょくふ、けつじょうみみかざり)
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ぎょくふ、けつじょうみみかざり
■時 代縄文時代前期〜中期
■出土地榛名町三ツ子沢中遺跡
■寸 法長さ12.5p(玉斧)4.8p(耳飾り)
■保管等群馬県埋蔵文化財調査センター
 三ツ子沢中遺跡は榛名山の西南麓にある、縄文時代の前期から後期にかけての集落遺跡である。玉斧は中期の墓穴と思われるところから出土した。玉斧とは翡翠(ひすい)でできた斧(おの)の意味であるが、この玉斧は翡翠と色合いがよく似た蛇紋岩(じゃもんがん)でできている。翡翠は県内では取れない貴重な石であるが、蛇紋岩は県内では多野郡と利根郡に産出地があり、縄文人はこの石を好んで採集していた。
 けつ状耳飾りは、住居を埋めていた土の中から出土した。石材は不明であるが、蛇紋岩によく似ている。中国で出土する「けつ」に似た形をした耳飾りをいい、前期に集中して出土する。このころに中国大陸と日本列島との間に何らかの交流があったのではとする見解がある。中国大陸では農耕が始まっていたことから、縄文農耕論を肯定する根拠の一つになっている。
 玉斧は中期。けつ状耳飾りは前期、黒浜式土器併行期。

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深鉢・浅鉢土器群(ふかばち・あさばちどきぐん)
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ふかばち・あさばちどきぐん
■時 代縄文時代後期
■出土地新田町矢太神沼遺跡
■寸 法高さ58.6p(左上)
■保管等群馬県埋蔵文化財調査センター
 遺跡は、大間々扇状地の末端に湧き出した矢太神(やだいじん)沼のまわりにある。縄文人は井戸を掘ることを知らなかったので、水のあるところを選んで集落を営んでいた。わき水は飲料水に最適なものである。また、木の実や草の根などを水にさらすことができるので、わき水は生活上に欠かすことができなかった。
 この土器は一つの住居から一緒に出土した。大型の深鉢土器二個は大きな破片に割られ、炉の底に敷き詰められたり囲いに利用されていた。小型の深鉢土器2個と浅鉢土器3個は床に転がって出土している。
 浅鉢土器のうち二個は、表面が黒光りした端正なつくり方である。これは、乾く寸前に水に溶かした粘土を重ね塗りして、表面を磨き上げてから焼いたものである。このような造形手法の変化は、土器を使用するための機能だけでなく、美しく作り上げる新しい工夫でもある。後期、堀之内T式土器。

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ハート形土偶(はーとがたどぐう)
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はーとがたどぐう
■時 代 縄文時代後期
■出土地 吾妻町郷原遺跡
■寸 法 高さ30.5cm
■保管等 個人蔵(東京国立博物館)
 戦時下の昭和20年ごろ、道路工事中に偶然発見された。昭和29年に公表されると美術界での評価も高まり、日本を代表する原始造形として注目された。
 土偶は小さな乳房の表現から女性像であることがわかる。乳房の間に臍(へそ)を表現した小さな穴があり、そこから下がる線は妊娠線だといわれている。この線の下にも、新しい生命誕生の願いを込めた産道が表現されている。これらのことから、土偶は健康な生命の誕生を祈る信仰遺物とされている。特異なハート形の顔は、鼻、眉毛(まゆげ)、口にかけての輪郭のみで表現したもの。頭や額、耳、頬(ほお)、顎(あご)などを省いた抽象的な表現方法をとっている。また、大きな肩に小さな手、アーチ状に表現された安定した足腰の造形美は、縄文女性の力強さを表している。
 この見事な抽象芸術は、縄文人たちの思考が決して「原始的」なものではなく、現代人の抽象表現と同じレベルにあったことを証明するものであろう。国指定重要文化財。後期、堀之内式土器併行期。

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容器形土偶(ようきがたどぐう)
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ようきがたどぐう
■時 代 縄文時代後期
■出土地 桐生市千網谷戸遺跡
■寸 法 高さ16.5p
■保管等 桐生市教育委員会
 筒型の容器を思わせる形だが、乳房がついていることから土偶と考えられる遺物である。口縁(こうえん)が欠損しているが、薄くつくられた縁が欠落したものと考えられる。頭部は無かっただろう。細かい縄文の上に細い線で装飾した繊細な文様構成をしている。表面はていねいに磨かれており、光沢がある。
 底近くに貫通した穴があることから、容器としての用途はないことが分かる。この穴は産道を表現したものであろう。穴の上には妊娠線と思われる線も見える。
 土器は命の源泉である食糧を蓄える道具。土器も土偶も新しい生命を創造させ、しかも維持するという点で共通する。だから、土器の形や文様を女性器と見なす見解がある。この千網谷戸(ちあみがいと)遺跡の容器形土偶は、容器に女性器が付加されていることから、縄文人たちは命の源泉を蓄えたり調理する土器を、女性原理の範疇(はんちゅう)でみていたのかもしれない。後期、加曽利(かそり)B式土器併行期。


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深鉢土器群(ふかばちどきぐん)
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ふかばちどきぐん
■時 代 縄文時代後期
■出土地 桐生市千網谷戸遺跡
■寸 法 高さ13.0p(右)
■保管等 桐生市教育委員会
 ゆるやかな曲線で底から口縁(こうえん)にいたるシンプルな形をもつ、後期の小型深鉢土器。文様の構成も平面的で、それまでのごてごてした感じの文様や、胴の張った形が一変している。土器の表面は焼く時に煤(すす)を吸着させることによって黒く仕上げられている。また、この時期には生乾(なまがわ)きの時に器面を磨き上げることによって光沢を持たせた秀作も現われる。
 写真の土器は、ともに同じ文様構成をとっている。口縁の文様帯には刻み目をもつ二本の細い線と、円形の線が配置される。胴の文様帯は、線で区画した内部に細かい縄文を施している。
 この時期には文様の意味も変化するようだ。すなわち、それまでの文様には何かを求める意識が読みとれるが、この時期以降の土器文様は装飾的な斬新さが目立ち始める。一方、それに反比例するように呪術(じゅじゅつ)遺物が豊富になり、土器文様が呪術から分離されてくる。後期、堀之内II式土器。

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