漆塗り木製容器(うるしぬりもくせいようき) |
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| 下田遺跡は台地上にある集落遺跡で、遺跡周辺に広がる低湿地が調査されたため、腐食を免れた木製品が数多く出土した。この木製容器の期の種類は不明だが、生木にできる瘤(こぶ)の部分を利用して内部をくりぬいて作られていると思われる。内側と外側に生漆(きうるし)を塗ったあとに、外側を赤漆で彩色している。烏帽子(えぼし)を逆さまにしたような平らな形をしており、液体を入れたものだろう。嘴(くちばし)状にとがった部分が注ぎ口になっている。 この遺跡では、木質の用材に漆を塗り重ねてつくられた櫛(くし)と思われる漆器や、竹製の編み籠(かご)なども出土しており、縄文時代の工芸技術が相当に高度で多岐にわたっていたことを思わせる。乾燥した土壌中では木製品は残りにくいが、この遺跡の出土遺物からは、彩色のみならず彫刻などの技法を凝らした木製の容器が数多く作られていたことが想像できるであろう。中期、勝坂(かつさか)式・加曽利(かそり)E式土器併行期 |
小型石棒(こがたせきぼう) |
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| 石棒は男性器を表したもので、縄文時代の代表的な呪術(じゅじゅつ)遺物である。縄文人は自然の中に生きたため、生活不安を多くの呪術によって克服しようとした。呪術とは災いを恐れて祈ること。しかし、縄文人の呪術はもっと高度な信仰体系にまで高まっていた感がある。 前期には小型の石棒がつくられるが、中期では長さが50cmを超える大型のものがある。後・晩期になると石剣や石刀と呼ばれるように、元の形が分からなくなるほど抽象的な造形変化をする。この石棒は前期の初源的な形をしている。凝灰岩質の白い柔らかい石で作られており、先端の二本の線のみで男性性徴を表現している。 石棒は、女性原理を表した土偶と共に、新しい生命誕生を願った縄文人の信仰遺物なのであろう。厳しい自然条件の中での命の継続は、そのまま社会の維持にもつながっていく。前期、諸磯(もろいそ)b式土器併行期。 |
三角柱形土製品(さんかくちゅうがたどせいひん) |
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| 三角柱を横軸にした形の土製品。各面は、細いシノ竹を押し引きした節のある線で、簡単な文様を構成している。シノ竹を等間隔で止めながら押し引くと、細かい節状の文様がつくられる。 横軸にそって貫通した穴があるが、ひもなどを通した痕跡はみられない。底は凹状にへこんでいる。 東日本一帯に広く分布する遺物であるが、出土例は少ない。古くから用途や機能が不明な遺物の一つであるが、その形態は石で造られた「石冠」と呼ばれる呪術(じゅじゅつ)遺物と共通性がある。 縄文時代の呪術具の多くは、時代が進むにしたがって抽象的に変化するものが多い。石冠には上部が男性器を示す石棒の頭部を表し、下部(底部)には女性器を示す凹み穴が表されているものがある。これと比べると、三角柱土製品の上部は男性、底部は女性を表した男女両性を合体的に表現した造形物ということになる。中期、加曽利(かそり)E式土器併行期。 |
大珠(たいしゅ) |
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| 正式には、その形から「鰹節(かつおぶし)形大珠」と呼ばれている。穴が開けられていることから、一般的にはひもを通して身体にぶら下げたものだろうと考えられている。しかし、身体装飾品であるとすれば縄文時代を通して最も大型であるとともに、重さもあることから、首飾りや腰飾りではないかとの見解もある。 小町田遺跡の出土例は、全体がきれいに磨かれた白色の翡翠輝石質(ひすいきせきしつ)岩で、ほのかに碧(みどり)色の部分が見える。新潟県の姫川で取れる翡翠は、縄文時代に日本列島の各地へ供給されていた。貴重品であったこの石が交易の対象になったということは、縄文人の生活の中で非実用的なものまでが重要な位置を占めていたことになる。 群馬県下での出土例は少なく、一遺跡での出土数も少ないことから、集落内の首長層や司祭者などの特定の人が所有した、権威の象徴かもしれない。中期、加曽利(かそり)E式土器併行期。 |