深鉢土器群(ふかばちどきぐん) |
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| ほぼ同じ形をした二つの土器は、長径1.8m、短径1.5mの楕円形の墓穴から出土した。埋葬にともなって墓に供えたものだろう。右の土器は墓穴の中央部から完全な形で出土した。これに対して左の土器は壊され散乱した状態で出土している。埋葬の時の何らかの儀式を表しているのだろうか。 右の土器は、土器面が二分割され、それぞれ渦巻きの文様が中心になっている。また、左の土器は土器面が四分割され二面一対の文様構成になっている。 二つとも、土器面を文様で埋め尽くした優品である。繊細な文様は、土器に精いっぱいの祈りを込めようとした縄文人の姿を彷彿(ほうふつ)とさせる。中期、五領ケ台(ごりょうがだい)式土器。 (桐生市教育委員会) |
深鉢土器群(ふかばちどきぐん) |
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| 三原田遺跡は、利根川を望む赤城山麓の末端に広がる台地上に営まれていた大集落である。300軒を超える竪穴住居と、1000個におよぶ食糧の貯蔵穴や墓穴が見つかった。これらの数は長い間につくり続けられたものである。出土した土器も膨大な量にのぼっている。 写真右の土器は三原田遺跡出土の土器のうち最も有名なものである。また、左の二個の土器は三原田遺跡特有の形と文様をもつことで注目され、「三原田式土器」と命名された土器である。 三原田式土器はすべて深鉢形をしている。口縁(こうえん)の文様が土器の機能性を無視してまで立体的に発達しているのが特徴である。中期の土器は粘土ひもによる文様構成を基本とするが、この土器はその極限形態になる。このあと粘土ひもの文様は退化・手抜きの方向をたどり、四つの土器型式をへて後期に移行する。三原田式土器は縄文時代を代表する土器群である。中期、勝坂(かつさか)式・三原田式土器。 |
深鉢土器(ふかばちどき) |
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| この土器は、三原田遺跡の集落内部にあった墓穴の中から単独で出土した。縄文時代中期の土器は文様が立体的になることに最も大きな特徴がある。 土器面に太い粘土ひもを貼りつけて、その両端には爪形の文様が加えられている。粘土ひもの接点にはブリッジ状の取っ手を立体的に付け、口縁(こうえん)には天に向かった大型の取っ手が付けられた。この取っ手は文様の一部である。これらの立体造形からは、360度の土器面のみでは物足りなくなった縄文人たちの造形意欲を感じる。 土器は食糧を貯蔵したり加工するための生活用具。これに文様を施すということは厳しい自然の中で安定した生活を求めるための呪術(じゅじゅつ)行為であり、縄文人たちの祈りである。この立体造形を縄文美術の爛熟(らんじゅく)期と考え、背後に安定した生活があったとする見解がある。また、むしろ規範を逸脱した造形手法は生活不安の恐れを感じさせる、という正反対の見解もある。中期、勝坂(かつさか)式土器。 |
深鉢土器(ふかばちどき) |
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| 郷原(ごうばら)遺跡はハート形土偶の出土地として有名。昭和59年に本格的な調査が行われ、そのときに住居内から出土したものである。 土器の上半部のみを文様帯として、粘土紐を曲線的に配した文様構成をとっている。この土器の大きな特徴は、すき間なく文様を埋め尽くすところにある。シノ竹を半裁した工具を押し引くことによって盛り上がった線をつくり出し、さらにその中に残された空間を点で埋めている。文様を土器面いっぱいに埋め尽くす手法は、なにか願いを込めているのだろうか。生活の不安を解消する行為として文様を理解するなら、そこからは縄文人の厳しい生活心情をうかがい知ることができる好例である。 この文様の土器は長野県焼町(やけまち)遺跡で注目され、「焼町タイプ」と呼ばれている。長野県東部から群馬県北部の狭い地域に分布する特異な土器型式である。 中期、勝坂(かつさか)式土器併行期。 |