深鉢土器(ふかばちどき) |
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| 三原田城遺跡から出土した早期の花積(はなづみ)下層式土器は、縄文を多用した文様構成をとっていたのに対して、清水山遺跡で出土した前期の諸磯(もろいそ)a式土器は、シノ竹による線や爪形の文様構成に変化していた。この土器はその変化の中間に出現した土器である。 胴には縄文が施されている。縄文は菱形の構成をとっているが、縄目は少し粗雑になって繊細さに欠けている。また、口縁(こうえん)は外側に大きく開く波状のモチーフに変化して、シノ竹を使った新しい文様への変化を見せている。 このように、縄文土器に施される文様は古い文様が退化しながら新しい文様が確立するという変化を繰り返す。土器の文様には、自然の中で生きた縄文人たちの畏(おそ)れと祈りが込められている。文様が変化する背景には、共同生活の意識の変化があったろう。前期、黒浜式土器。 |
深鉢土器(ふかばちどき) |
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| この土器は上の土器と同形のものであるが、文様構成の完成度が高まっている。 地文の線は繊細になり、その構成も確立している。この集合した線は、口縁は横に、胴以下は縦方向に施されており、二つの文様帯を最初から区別させている。耳の形や豆のように粘土を配して、その間に円形の粘土粒を貼り付けている。この粘土粒にはシノ竹の割れ口を押しつけた円形の文様を加えている。立体的な文様構成がしっかりしてきた。 これらの装飾は一面的に見えるが、二つの文様帯に規制されていることにも気づくだろう。それまでの平面的な文様構成は、この土器型式以降に粘土ひもや粘土粒などを多用した立体的なものに変化する。しかも、縄文土器の象徴ともいえる縄目の文様は、地文や全体のうちの一部として採用されることによって、その後、次第に使われなくなっていく。前期、諸磯(もろいそ)c式土器。 |
深鉢土器(ふかばちどき) |
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| この土器は、長径1.5m、短径1mの長方形をした墓穴に、打ち欠かれた破片として敷き詰められていた。墓穴の北側に偏(かたよ)って敷かれており、埋葬時に死体の頭を保護するかのようであった。当時の埋葬方法を知るための重要な資料である。 胴がゆるやかに湾曲した樽形をしており、大型の土器のわりには全体的に薄手のつくりになっている。文様は土器面を四分割し、それぞれの面に一対の文様が構成されている。 繊細な縄文には工夫が凝らされている。縄を撚(よ)るときに繊維の束を中央で結んでから撚り始めると、中央部分に結び目ができる。これを土器面に転がすとその部分がS字状の圧痕となって表れる。このような縄文文様を「あやくり文」という。中期、五領ケ台(ごりょうがだい)式土器。(桐生市教育委員会) |
深鉢土器群(ふかばちどきぐん) |
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| 縄文時代の遺跡を発掘すると竪穴状の遺構が発見されることがある。なかに炉があれば竪穴住居となるが、なければ性格が不明ということになる。この二つの土器は性格不明の竪穴状遺構から出土した。 二つの土器ともに、口縁(こうえん)に取っ手状の突起が付けられ、端正な文様が内外面に描かれている。それに比べて胴の部分には文様がない。土器は粘土ひもを輪積(わづ)みしてつくられるが、この土器にはそのときの痕跡がそのままになっている。これは、手抜きではなく意識的な造形技術であり、この時期の特徴でもある。内面はていねいに磨き上げられている。 一見すると縄文土器とは思えないような形をしており、大きさも機能的ではない。縄文人が自らの芸術感覚を、私たち現代人に披露しているような錯覚を覚える。 中期、阿玉台(おたまだい)式土器。(桐生市教育委員会) |