深鉢土器(ふかばちどき) |
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| 赤城山の南麓にあるこの早期の遺跡では、160カ所にもおよぶ「落とし穴」が見つかった。これは、動物を追い込んで捕えるための仕掛けで、ここが縄文人たちの狩猟の場であったことが分かった。この遺跡からは同時期に使われた大型の深鉢土器が出土した。 縄文土器はこのころから急激に大きくなる。住居は屋内で火を使うことができない稚拙なもので、屋外に「炉穴(ろあな)」と呼ばれる調理施設が出現する。これは生活上の大きな変化であり、土器の大型化と時を同じくしていることから、その背景には豊かな食生活がうかがえよう。 大型の土器をつくるために、粘土のなかにススキなどのイネ科植物の繊維を混ぜている。その理由は不明な部分が多いが、土器を焼くときにイネ科植物に多く含まれるガラス分が溶けて土器を硬くさせる効果があるのかもしれない。細い線による幾何学的な文様が美しい。早期、鵜ケ島台(うがしまだい)式土器。 |
深鉢・浅鉢土器群(ふかばち・あさばちどきぐん) |
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| 清水山遺跡は群馬県の縄文時代を代表する遺跡の一つで、写真の土器群は住居や墓穴から出土した。細いシノ竹を工具にして描いた、文様の美しい土器である。 左の深鉢は、細かい縄文を施したうえに、波状の口縁(こうえん)からシノ竹の切り口を押しつけて、繊細な円形の竹管(ちくかん)文様をつくり出している。また、口縁と胴には連続爪形の文様をあしらっているが、これは半裁したシノ竹を斜めに連続して押しつけたものである。右の浅鉢は円形の竹管のほかに、半裁したシノ竹を横引きすることによってつくり出される2本の平行線の文様が描かれている。 土器の多様化は縄文時代早期ころから始まる。この時期は、原初的な縄文農耕やイノシシ飼育が始まった時期との見解があり、さらには気候温暖期にもあたる。これらのことから、土器の形が分化する背景として、食生活の変化を読みとることができるのかもしれない。前期、諸磯(もろいそ)a式・b式土器。 |
深鉢土器片(ふかばちどきへん)部分 |
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| 底の部分からくびれに向かって胴が張り、口縁(こうえん)に向かって外に開く形の深鉢土器。土器全体に施された縄文を地の文様として、その上に半裁したシノ竹を押し引きした文様が加えられている。 縄文土器の文様は、文様の確立→手抜き→変質→新たな確立の変遷を繰り返す。先行する諸磯(もろいそ)a式土器が文様の確立期にあたり、この土器は手抜きの段階にあたる諸磯(もろいそ)b式土器である。先行する土器には繊細な細かい縄文が施されるが、この時期になると縄目が粗くなる。これは縄文を施すための縄を撚(よ)る繊維そのものが太くなるからである。また、シノ竹を押し引きした文様も、太い材料が使われるために大味で繊細さに欠けている。しかし、見方を変えると規範から解放された伸びやかな感性を感じ取ることもできよう。前期、諸磯b式土器。 |
浅鉢土器(あさばちどき) |
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| 竪穴住居の床に置かれたままの状態で出土した。直径42.5cmの円盤形をしている。縄文時代をとおして最も特異な形をした浅鉢土器で、この時期以外にはつくられていない。 機能性を無視した形は、縄文土器に特有な抽象造形の代表的なものである。半分に割ったシノ竹を押し引きして二本の平行線文様を描き出している。その形が木の葉にも似ていることから木葉文とも呼ばれている。口縁(こうえん)の近くに42個の小さな穴があけられている。この穴については、連続した穴は発酵時の空気穴であるとする醸造具説、口縁に張った革を縛る穴と考える太鼓説などがある。 しかし、多くの類例を検討することによって、この穴は文様の一部であることが分かってきた。部分的にベンガラで赤く塗られていた痕跡(こんせき)があることから、祭祀(さいし)に供えられた可能性が強いとの見解もある。前期、諸磯b式土器。 |