【飛鳥・奈良・平安時代 ・ 目 次】
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飛鳥・奈良・平安時代トップ
塑像頭部(そぞうとうぶ)…前橋市山王廃寺
塔心礎(とうしんそ)…前橋市山王廃寺
塔心柱根巻石(とうしんばしらねまきいし)…前橋市山王廃寺
石製鴟尾(せきせいしび)…前橋市山王廃寺
軒丸瓦(のきまるがわら)…前橋市山王廃寺
軒丸瓦(のきまるがわら)…太田市寺井廃寺
軒丸瓦(のきまるがわら)…伊勢崎市上植木廃寺
軒瓦等(のきがわら)…吾妻町金井廃寺
文字瓦(もじがわら)…前橋市山王廃寺
山ノ上碑(やまのうえのひ)…高崎市山名町
多胡碑(たごのひ)…吉井町
金井沢碑(かないざわのひ)…高崎市山名町
奈良三菜小壺(ならさんさいこつぼ)…前橋市桧峯遺跡
唐三彩陶枕(とうさんさいとうちん)…新田町境ヶ谷戸遺跡
軒瓦(のきがわら)…上野国分寺
文字瓦(もじがわら)…上野国分寺
緑釉水注等(りょくゆうみずさし)…前橋市山王廃寺
線刻紡錘車、墨書土器(せんこくぼうすいしゃ、ぼくしょどき)…沼田市戸神諏訪II遺跡
瓦塔(がとう)…前橋市上西原遺跡
緑釉陶器、灰釉陶器(りょくゆうとうき、かいゆうとうき)…前橋市・高崎市
土器群(どきぐん)…上野国分僧・尼寺中間地域遺跡
長頚壺(ちょうけいつぼ)…上野国分僧・尼寺中間地域遺跡
八稜鏡(はちりょうきょう)…箕郷町下芝五反田遺跡
小金銅仏(しょうこんどうぶつ)…渋川市有馬条里遺跡
墨書土器、線刻紡錘車(ぼくしょどき、せんこくぼうすいしゃ)…前橋市二之宮洗橋遺跡
墨画土器(ぼくがどき)…前橋市柳久保水田跡
銅印(どういん)…高崎市矢中村東遺跡
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縄文時代
弥生時代
古墳時代
墨画土器
(ぼくがどき)
■時 代
:
平安時代
■出土地
:
前橋市柳久保水田跡
■寸 法
:
高さ4.5cm
■保管等
:
前橋市教育委員会
平安時代の土器の内外面に墨で絵が描かれている。欠損部分があるので全体像は不明であるが、外面には5人の人物が認められる。そのうちの1人は、馬に乗っていて、左手を斜め後方に挙げている。その顔は太い眉がつり上がった形相で、頭部は表現されておらず、衣服をまとわぬ裸体である。
他の4人も騎馬の人物と同様に表現されているが、顔の向きと目鼻の線の太さで少しずつ異なる表情を見せている。内面には牛の頭をした者が棒をもって立っており、外面の人物のうち2人も棒をもっていて、鬼を想起させる。また、騎馬の人物と棒を持たない人物は、人の姿を借りた鬼神の表現であり、この土器は鬼の世界を語るものとの見方もされている。
銅印
(どういん)
■時 代
:
平安時代
■出土地
:
高崎市矢中村東遺跡
■寸 法
:
1辺3.7cm
■保管等
:
高崎市教育委員会
平安時代の末期、天仁元年(1108)に浅間山の噴火によって降下した軽石層下の溝から出土した。県内では、これまでに十数例を数える銅印が出土しているが、本銅印は大きさや形、保存状況の良さなどいずれをとっても群を抜いている。
印面には「物部私印」と刻まれており、国印や郡印などとは異なり、物部という氏族が私的に用いた印であることがわかる。
上野国における物部氏は、史料や出土文字資料などから、利根川右岸の群馬郡、多胡郡、甘楽郡などの西部地域に数多く分布していたことがわかっている。
この印面の大きさというのは厳密に決められていて、天皇の使う方3寸のものから段々小さくなり、中央省庁が2寸台で、諸国印が方2寸であった。このほかに郡印や私印があり、私印については、方1寸5分以下という制限があった。本銅印は一辺が3.7cmであるから、ほぼ1寸2分ということになり、私印の範疇に収まるものである。