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上野国分僧寺・尼寺中間地域遺跡で出土した土器群で、奈良時代初めころに日常生活の中で使われたものである。 ●は土へんに宛 |
八稜鏡(はちりょうきょう) |
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| 平安時代後半につくられた青銅製の鏡である。8枚の花弁をかたどった輪郭から八稜鏡と呼ばれており、中国の唐代の鏡を模倣して国内で鋳造されたものと考えられている。鏡の背面には、内側に二羽の鳥と、その間に花を描いており、そのモチーフから「瑞花双鳥(ずいかそうちょう)八稜鏡」と呼ばれている。
八稜鏡は、平安時代に都で貴族の化粧道具として用いられるだけでなく、山岳つまり高い山やそこにある池に奉納したり、仏像の体内に納めたり、寺院や仏閣の飾りや宗教的装飾としても用いられた。この鏡も出土状況や遺構の様子からお堂に納められたもので典型的な信仰的使われかたをしている。 鏡面には2体の仏像が繊細な毛彫りで描きだされており、美術史的にも貴重な資料である。向かって左側は阿弥陀如来像であるが、右側は錆のために分からない。このような鏡面に仏や神の姿を彫った鏡像は、平安時代におこった神仏習合思想を反映したものである。(桜岡正信) |
小金銅仏(しょうこんどうぶつ) |
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| 右の立像は青銅製で、兜と鎧を身につけ下半身には裳(も)をまとい、両足には脚絆(きゃはん)をつけて沓(くつ)をはいている。右手を曲げて腰にあて、左手を下に伸ばした姿から、本来は左手に剣をもつ持国天像(じこくてん)と考えられる。本体と台座から柄までを型を組み合わせて一回の鋳造で仕上げている。全体に黒い光沢があり、鍍金の痕跡は残っていない。台座下の柄までの高さは6cmである。
左は、金銅製地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)で、上半身に偏衫(へんさん)と大衣をまとい、右の肩肌を脱ぎ下半身には裳をつけた姿である。曲げた左手と、下に伸ばした右手には持ち物の表現は見られないが、本来は左手に宝珠、右手に錫杖を持っていたものであろう。首や胸などに鍍金の痕跡があり、往時の輝きがしのばれる。二体ともその表現や製作技法から、11紀代の作とみられている。(桜岡正信) |
墨書土器、線刻紡錘車(ぼくしょどき、せんこくぼうすいしゃ) |
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| 前橋市の二之宮洗橋(あらいばし)遺跡で出土した土器の内面には、はっきりした文字で「芳郷」と記されていた。これは古代の勢多郡にあった芳賀郷のことであり、一緒に出土した数点の土器にも書かれていることから、二之宮周辺がかつての芳賀郷の地であると考えられる重要な遺物となった。
また、吉井町の矢田遺跡で出土した紡錘車には細い毛彫りのような線で「八田郷」、くっきりと太く「物部郷長」などと書かれている。これらは、矢田遺跡が多胡郡の八田郷に含まれ、そこに物部を名乗る郷長が住んでいたことをあらわしている。 これらの出土文字資料は文献史料の少ない地方史にとって重要なものとなる。しかし、複数の文字が書かれた場合は意味を理解できるものもあるが、ほとんど一文字の場合が多く、その解釈を困難にしている。 |