| 融通寺遺跡(ゆうづうじいせき) |
| 高崎市大八木町字融通寺にあり、井野川右岸の自然堤防上に立地する。上越新幹線建設に伴って、1975年に県教委、1983年に県埋文事業団が発掘調査し、狭い範囲から301棟もの竪穴住居が発見された。弥生時代末の2棟を除き、大部分が7世紀後半以降のものであり、7世紀後半から奈良・平安時代にかけて営まれた大集落といえる。古墳時代には、後期の水田が1面調査されているが、住居は1棟も見つかっていない。古墳時代にこの地は、居住域としてではなく、生産域として利用されていたようである。中世では、大八木屋敷と推定される館の濠や、文保2(1318)年と觀應2(1351)年の年号の入った板碑が発見されている。また、表土中からではあるが、瓦塔や銅鋺の破片も出土しており、付近に古代寺院があったことも想定される。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈石田真〉 |
| [文献] ◇『融通寺遺跡』 県埋文事業団 1991 |