| 山名戸矢遺跡(やまなとやいせき) |
| 高崎市山名町字戸矢にあり、上信国境に源を発する鏑川と、御荷鉾山塊より流れ出る鮎川とが合流する地点の北方約500メートルに位置する。1992年から1993年にかけて住宅団地造成に伴って高崎市遺跡調査会が発掘調査した。調査面積は3985平方メートルである。縄文時代後期を最古とし、古墳時代から近代に至る遺構や遺物が見つかっている。遺跡の主体をなすのは、古墳時代後期から平安時代にかけての集落である。河川に近い氾濫原という立地条件から、大規模な集落の存在は薄いと考えられていたが、調査の結果、多数の竪穴住居が見つかり、古墳時代以降においては集落の立地上安定した地域であったことが明らかとなった。平安時代の竪穴住居からは灰釉陶器も多く見られ、日常什器として灰釉陶器が浸透していたことを明らかにするうえで注目される。また、壁面を石垣で覆うという特異な形態を持つ竪穴住居も確認された。鏑川上流に位置するほかの遺跡においても同様の遺構が見られるが、いずれも砂礫層における構築であることから、壁面の保持を図るためのものと考えられる。このほか、数点の丸瓦が出土し、そのなかには「辛枚万呂」と刻書されたものがある。“辛”は、多胡郡辛科郷を示し、“枚万呂”は瓦の寄進者としての人名と解釈される。出土遺物は高崎市教委に保管されている。〈曽江哲也〉 |
| [文献] ◇『山名戸矢遺跡』 高崎市教委 1993 |