矢場川古墳群(やばがわこふんぐん)

  太田市矢場、足利市藤本町、新宿町、里矢場町にかけて広がる。渡良瀬川扇状地上で矢場川中流域の右岸に立地する。矢場川沿いに7.5キロメートルにわたって分布し、矢場薬師塚古墳、鶴巻山古墳、藤本観音山古墳など、前方後円墳と前方後方墳で構成される前期の首長墓を含んでいる。七つの支群に分けられ、全体では前期と後期を主体とする90基の古墳が確認されているが、その70%は矢場支群、新宿支群、藤本支群に属し、分布域は1.5キロメートルの範囲に集中している。矢場支群の中心的な古墳は、前期の前方後円墳である矢場薬師塚古墳で、周囲には8基の円墳が立地する。新宿支群は後期の前方後円墳である淵の上古墳、上宿古墳(勢至堂裏古墳)を中心にして、その東西に27基からなる後期の円墳群が確認されている。藤本支群は、用水路を挟んで北側の藤本観音山古墳と南側の伊砂子山古墳の2基の前方後方墳が対峙し、その南側に23基の円墳群が展開する。伊砂子山古墳は地籍図などから、隣接する石塚古墳と接合する全長80メートルの前方後方墳と考えられるが、伊砂子山古墳単体で方墳とする見解もある。

 矢場薬師塚古墳は太田市矢場にあり、矢場川古墳群矢場支群の中心的な古墳である。大正2年に開墾により削平されたが、現在でも水田中に地割りが残る。地割りからの計測値は全長80メートルで、前方部をN-115°-Eに向けた前方後円墳である。周囲にはこの古墳を取り巻くように、8基の円墳が分布する。東京国立博物館に収蔵されている本古墳の出土品には、鏡、勾玉、管玉、小玉、釧、銅鏃、鉄剣があり、鏡は青銅製の舶載四獣鏡で、文様は摩滅しているが内区に「上方作竜真有紀長宜子孫」の省略銘がある。また、『上毛古墳綜覧』の原本である古墳調査票には、大正2年に発掘された遺物の記録があり、これには金銅製耳環、埴輪、勾玉などの出土が記されている。しかし、これらは地元の本矢場から東京国立博物館に寄贈された上記の遺物と年代的な相違があって判然としない。矢場支群の中心的な初期古墳で、藤本観音山古墳の後に築造された、矢場川中流域における初期前方後円墳との指摘がされている。

 鶴巻山古墳は太田市矢場字鶴巻にある。矢場川古墳群矢場支群の中心的な古墳で、矢場薬師塚古墳に近接する。大正時代に開墾によって削平されたらしいが、1988年に工場用地の造成工事に伴い、太田市教委が発掘調査した。全長43.7メートルの規模をもつ前期の前方後方墳で、前方部をN-107.5°-Wに向け、前方部の前端は弧を描いて突出する。周堀内から土師器の壷が出土している。藤本観音山古墳とほぼ同時期に築造された古墳で、小地域圏の範囲などについてそれとの関係が注目される。出土遺物は太田市教委に保管されている。

 藤本観音山古墳は栃木県足利市藤本町にある。矢場川古墳群藤本支群の中心的な古墳で、矢場川古墳群のなかで最大の規模をもつ前期の前方後方墳である。1984年から1985年にかけて、遺跡保存のための範囲確認調査として、足利市教委が部分的に発掘調査した。全長116.5メートル、前方部前端部の幅50メートル、前方部の長さ53.5メートル、高さ4メートル、後方部の幅55メートル、長さ63メートル、高さ10.5メートルで、前方部を北から63°西側に傾ける。周堀は墳丘の主軸方向に長い210.5メートル×144メートル以上の長方形であるが、前方部の左側がくびれた不整長方形で、この周堀の変形については古墳築造以前の水路を意識した立地であるとの見解が示されている。出土遺物には土師器、須恵器、埴輪があるが、築造年代に近い遺物は土師器の壷とS字状口縁台付甕である。出土遺物は足利市教委に保管されている。〈坂口一〉

[文献]
◇『太田市史』通史編原始古代 1996

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