谷地遺跡(やちいせき)

  藤岡市中栗須字谷地にある。藤岡台地末端部から沖積地にかけて比較的広範囲に及ぶ遺跡であるが、調査地点は現在温井川の河道となっている。1982年に温井川河川改修に伴って藤岡市教委が発掘調査した。縄文時代前期から晩期にかけての遺物包含層、後期、晩期の配石群と埋設土器群、奈良・平安時代の水田祭祀に関係すると思われる坏類などの遺物やAs-Bに埋没した溝など、水田関連の遺構が調査された。縄文時代の墓と考えられる配石群と埋設土器群が注目される。沖積地の現地表から約2メートル近く下の砂礫層から見つかった。配石遺構は11カ所あり、立石を伴っていたと推定されるものが3基、ほかは集石状遺構である。埋設土器遺構の周辺部を精査した結果、住居に付随するものではなく、単独に土器を埋設したものであることが分かった。総数は33カ所で、ほとんどが後期ないし晩期に位置づけられる粗製深鉢形土器である。土器は口縁部が上を向く正位で埋設されたもの32、口縁部が下を向く逆位で埋設されたもの2で、底部を意識的に欠いている。埋設遺構数と出土土器の個体数が合わないのは、2個体の土器を同時に埋設している遺構があるためで、この遺構は底部を欠いた逆位の土器に、底部を欠いた正位の土器を差し込んで埋設したものと考えられる。逆位の土器は口唇部に凸帯文をめぐらす東海系の五貫森式土器系統の晩期の土器である。ここで見られる縄文時代後期、晩期の土器には、前述の五貫森式土器以外に近畿系の滋賀里式および橿原式土器や東北の新地式、大洞諸型式が入り込んでいる。これら他地域の土器は広域的な交易の所産とみることができよう。ほかに岩版、石冠、耳飾、ペンダント、骨製へアピンなど特殊な遺物も見られる。出土遺物は藤岡市教委に保管されている。〈寺内敏郎〉

[文献]
◇『年報』1 『谷地遺跡』 藤岡市教委 1985・1988
◇『群馬県史』資料編1 1988
◇『藤岡市史』資料編 1993

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