宮崎城(みやざきじょう)

  富岡市宮崎にあり、鏑川とその支流丹生川に挟まれた河岸段丘の上位段丘面に立地する。1993年に富岡市立西中学校の校庭拡張に伴って宮崎城遺跡調査会が発掘調査した。宮崎城は築城時期や城主などについて不明な点が多く、戦国時代には小幡氏の旗下宮崎和泉守の居城であったといわれる。天正18(1590)年の小田原の役では小田原北条氏方として落城したという。徳川家康の関東入部の際、奥平氏が3万石で封じられて入城したが、慶長6(1601)年に廃城となった。

 城は並郭式で東西約430メートルが城域とされるが、西側約170メートルのみ城跡の形状を残していた。発掘調査では縄文時代前期の竪穴住居1、古墳時代後期の竪穴住居6のほかに、中・近世の掘立柱建物11、土坑60、溝6が見つかった。これらの遺構からみて、この調査区は、城外の居住区間であるという評価もある。出土遺物は富岡市教委に保管されている。〈飯森康広〉

[文献]
◇『宮崎城』 富岡市教委 1994
◇山崎一『群馬県古城塁址の研究』下 1972

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