| 三原の経筒(みはらのきょうづつ) |
| 明治44(1911)年に吾妻郡嬬恋村三原の黒岩繁太郎は、同所上之山の畑地で経塚らしきものを確認した。その地は背後に山並みを控えながら、南方に突出した尾根の東側付け根で、岩井堂の集落を眼下にした標高830メートル前後の地で、近くに三原神社がある。現在その地は白根火山ルートが通過しているが、そのルートの岩井堂の分岐点から白根方向へ600メートルほど離れた地点でもある。発見された経筒は、浅間石(安山岩)で作られた高さ32センチメートルほどの円筒形の保護容器に納められていた。これに納められていた経筒は、銅板製鍍金の円筒形で、底は平底で、蓋は無鈕の被蓋式盛蓋、総高10.5センチメートル、口径4.5センチメートルである。発見の当初には経卷の残塊があったと伝えている。経筒には、「十羅刹女 越前州平泉寺□奉納大乗妙典六十六部聖□三十番神□享禄三天今月日□弘朝之」の刻文がある。その意味は、享禄3(1530)年に越前国(福井県)の弘朝とされる聖(仏教の民間布教者)が、法華経(大乗妙典)66部を書写して奉納したとのことである。この地に勢力を張った武将が、現世利益、追善供養のためにかかわったものであろう。現在、長野原町小宿の営林寺に保管されている。〈松島榮治〉 |
| [文献] ◇『経塚』 東京国立博物館 1988 ◇「三原出土の経筒」『広報つまごい』554 嬬恋村 1997 |