三原田城遺跡(みはらだじょういせき)

  勢多郡赤城村三原田字観音前にある。この地点が近接する中世の三原田城の一部にあたることから遺跡名がついた。赤城山の西麓を流れる天竜川の右岸に広がる台地上に立地し、標高は約290メートルである。1979年に関越自動車道建設に伴って県埋文事業団が発掘調査した。発掘範囲は約6400平方メートルで、縄文時代前期の竪穴住居10、土坑126と古墳時代の竪穴住居1、古墳1のほかに三原田城の外堀の一部や中世土坑墓などが見つかった。最も注目されるのが縄文時代前期の集落で、なかでも前半期の花積下層式期の8棟の竪穴住居である。そのうちの4棟は台地の縁辺に近接して1列に並んでいた。また、各竪穴住居に規格性が見られない。これらの現象は、出土した花積下層式土器が同時存在のものではなく、時間的な変遷を持つものであることを示すとも考えられるが、住居自体に規格性がなかったことも考えられよう。清水山遺跡の前期後半の住居型式や三原田遺跡の中期の住居型式などと考え併せた研究が必要になる。出土した土器は早期から中期にかけてのものであったが、ここでも花積下層土器が注目される。バラエティーに富んだ器形や文様構成は、本県におけるこの時期の土器研究の代表的な資料になる。また、少数ながら同時に出土した木島式土器は東海地方に分布の中心があるもので、両地方の編年研究や交渉史の分析上貴重なものとなろう。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈能登健〉

[文献]
◇『三原田城遺跡・八崎城址・八崎塚・上青梨子古墳』 県埋文事業団 1987

戻る