| 南下古墳群(みなみしもこふんぐん) |
| 北群馬郡吉岡町南下にある。吉岡町は『上毛古墳綜覧』に424基にのぼる古墳が数え上げられ、県下でも有数の古墳密集地域として知られている。その内訳を見ると小倉地域に167基、南下地域に108基、大久保地域に88基と一部地域に集中が見られ、これらのほとんどは横穴式石室を持つ小円墳で、6世紀後半から7世紀後半にかけて集中的に築かれたものと考えられている。
南下古墳群は吉岡中学校南方の丘陵から溝祭地区にかけて分布する古墳の総称だが、一般的にはA号からE号の名称でよく知られた5基の古墳に代表される場合が多い。これらの古墳は中学校南方の通称大林山と呼ばれる岩屑流丘南斜面の半径100メートルほどの範囲内に集中して築かれ、それぞれが石材の取り扱い方や石室の形状に違いを見せている。A号古墳は7世紀後半の築造が推定され、角閃石安山岩を方形に加工し積み上げた截石切組積石室で規模が大きく、羨道と玄室の境には見事に加工された玄門が設置され、玄室壁面には漆喰状のものが塗られた跡を残している。E号古墳も截石切組積石室で玄門があるが、石材の加工と組み合わせは甲乙つけがたい精巧さだが、石室規模は小型化する。こちらは7世紀末葉の築造が推定される。注目されるのは、両古墳とも玄室壁面に石材加工の際の作業線とみられる朱線を残している。全国的にも例がほとんどないものである。B号古墳は自然石主体の石室だが玄門や奥壁など一部に截石を用い、わずかながら切組の手法も見せている。また、玄室石材のすき間に漆喰状のものを充填している点はA号古墳との関連をうかがわせ興味深い。C号古墳およびD号古墳はともに自然石積の石室があるが、C号は東に開口する袖無型、D号は玄門のある両袖型である。古墳群のすぐ東には上野国三宮神社があり、その周辺には大久保A遺跡に代表される集落遺跡も多く、それぞれが密接な関係にあるものと推定されている。古墳群のうち、A号とB号の2基が1993年に町の史跡に指定されている。〈瀧野巧〉 |
| [文献] ◇松本浩一・桜場一寿・右島和夫「截石切組積横穴式石室における構築技術上の諸問題」上・下『群馬県史研究』11・13 1980・1981 |