南大塚遺跡(みなみおおつかいせき)

  渋川市川島字南大塚にあり、榛名山の東麓台地状の先端に立地している。1979年に市道拡張工事中に地表下3.5メートルから4メートルのところで発見され、渋川市教委が発掘調査した。平面形が隅丸長方形の3基の土坑内におのおの複数の土器が納められていた。1号土坑からは壷4個体、2号土坑からは壷2個体と甕2個体、高台付鉢1個体の合計5個体と大きな礫1個が出土した。3号土坑は工事によってほとんど破壊されていた状態で、土坑の壁がわずかに残され、壷1個体が発見された。土器は人間の骨を納める蔵骨器であり、遺跡の性格は集団墓地である。複数の土器が一つの土坑に納められていることから、血縁関係の墓と考えられる。土器には大、中、小さまざまな大きさがある。骨を納めるために作られたものではなく、日常使用されていた土器が蔵骨器として使用されている。それは土器の底の擦れ具合や煤の付着でも分かる。この遺跡は火山灰で3メートル以上覆い尽くされていたため、旧地表の状況がよく観察できる。土坑の上は土饅頭が築かれている。これらは再葬墓という二次埋葬の墓である。人間をそのままの状態で土器に納めるのではなく、いったんは土葬などにし、後に洗骨をして土器の中に再び納めて埋葬したものである。時代は弥生時代前期末で、弥生土器としては関東地域で初現の土器である。出土遺物は渋川市教委に保管されている。〈大塚昌彦〉

[文献]
◇『群馬県史』資料編2 1986
◇『渋川市誌』2 1993

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