| 水沼遺跡(みずぬまいせき) |
| 群馬郡倉渕村水沼字中郷の旧水沼小学校校庭にあり、烏川によって形成された段丘上に立地する。1947年から1968年までの間に、6回にわたって群馬大学が発掘調査した。弥生時代の樽式土器を出土する代表的な遺跡の一つである。11棟以上の竪穴住居が見つかり、なかでも第2号住居からは、数多くの台付甕、片口形、甑、高坏などの土器や砥石、さらに籾痕、藁痕などが出土した。3号A住居と3号B住居からは、鉄鏃や紡錘車などが出土した。烏川の河岸段丘の面にまず3号A住居が営まれ、水害によってAが埋められた後、その上に再びBが造られた。その後、Aと重なるように2号住居が造られたことが分かった。水沼遺跡は烏川の水害により何回も被災したものと考えられる。水沼の対岸の三ノ倉からも樽式土器が数多く出土している。水沼の地は、その名が示すように沼地だったであろう。弥生人はこの広い沼の岸で稲作をしていたものと考えられる。〈市川光一〉 |
| [文献] ◇尾崎喜左雄「群馬県水沼遺跡調査報告」『日本考古学年報』 昭和23年度 1951 ◇「水沼遺跡」『倉淵村誌』別冊 1975 |