丸山北須恵器窯跡(まるやまきたすえきようあと)

  太田市吉沢字落内にあり、八王子丘陵南東裾部末端段丘崖上の傾斜地に立地していた。1984年に土地改良事業に伴って太田市教委が発掘調査した。須恵器窯の一部とそれに伴う灰原や粘土採掘坑、溝が見つかった。須恵器窯は2基認められたが、水田として削平されていたため、いずれもその痕跡がわずかに見られたのみであった。窯からの出土遺物には、坏、蓋、円面硯などが見られるが、坏が主体を占める。坏の成形は、底部の粘土板に底部から口縁部を巻き上げた後、水挽きを行う技法が用いられていたものと考えられる。灰原からは、重ね焼きによる焼成時に複数の坏が融着したものや、高温のために極端に変形したものも出土している。8世紀後半から9世紀にかけて営まれた須恵器窯であることが分かる。段丘崖上の平坦面に設けられた土坑内から酸化炎焼成の瓦堂片が出土している。この瓦堂は、本窯址で生産された可能性が高い。県内からの瓦堂の出土例はほとんど見られず、その作りが精緻であることとも併せて貴重な資料である。出土遺物は太田市教委に保管されている。〈金澤誠〉

[文献]
◇『太田市史』通史編原始古代 1997

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