丸山遺跡(まるやまいせき)

  前橋市泉沢町字丸山にあり、荒砥川左岸の台地上の標高114メートルから125メートルに立地する。古墳時代を主体とする集落遺跡である。1986年と1987年にほ場整備事業に伴って県教委が一部を発掘調査した。縄文時代の竪穴住居1、古墳時代の竪穴住居67、円形周溝3、5世紀後半の環濠居館が注目された。環濠居館は同時期の集落がある台地面よりも10メートルほど高い丘陵頂部の南斜面にあり、一般の集落とは隔絶している。東西32メートル、南北25メートルの長方形の区画の外側に、上幅2.7メートル、深さ1.2メートルで断面形が逆台形の濠がめぐる。県内で発見されている古墳時代の居館の中では最小規模のものである。濠の内縁から1.0メートルないし1.5メートル内側の位置に柵列を備えている。柵列の柱穴は直径20センチメートルから40センチメートル、深さ45センチメートルから90センチメートルであり、2.2メートルから2.4メートルを基本間隔として直線上に並ぶ。柱穴相互は幅20センチメートルから30センチメートル、深さ10センチメートルほどの浅い溝で連結されるが、西辺柵列の両端部には溝がなく、出入口と考えられる。柵列内部の遺構は8棟の竪穴住居のみで、祭祀遺構、掘立柱建物、内部を区画する溝や柱穴列などはない。なお、本遺跡の東方300メートルの新山遺跡には、丸山環濠居館と同時期の方形周溝墓と直径20メートルの円墳とがあり、付近に同時期の墓はないため、これが居館に居住した者の墓域と考えられる。このように丸山遺跡の環濠居館は、周辺地域の調査成果を総合することにより、一般集落や墓域との関係が明らかになるばかりでなく、当該地域の5世紀後半における環濠居館の成立に関して貴重な資料を提供している。そのため、当初削平予定地であった環濠居館部分は、工事計画を一部変更し、環濠の内側の部分を削平せずに現状のまま保存されている。住居および環濠内から出土した多量の土師器と2年次の調査の際に発見された滑石製勾玉1点は、県教委に保管されている。〈西田健彦〉

[文献]
◇『丸山・北原』 県教委 1987
◇『丸山・北田下・中畑・村主・中山B』 県教委 1988

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