| 不動山古墳(ふどうやまこふん) |
| 高崎市綿貫町字金堀にある前方後円墳。井野川が烏川と合流する地点から約1キロメートル上流の右岸に立地する。墳丘長94メートル、後円部直径54メートル、前方部幅56メートルの規模で、5世紀後半代から形成された綿貫古墳群の中核をなす古墳である。主軸はほぼ東西方向で、北側くびれ部に造出を設けている。馬蹄形の周堀が確認されているが、外堤や外堀があったかどうかは不明である。墳丘斜面には葺石が施され、2段築造の中段平坦面に円筒埴輪列が見られる。造出は方形台状をなし、下段墳丘に付設される。造出の側面にも墳丘同様の葺石が施され、縁辺部に円筒埴輪列が見られる。ここに立てられた埴輪は、墳丘上のものと比較してやや大型であり、また造出中心部から土師器坩、壷の破片が出土していることから、祭祀的様相の強い特別な施設であったことが推定される。後円部墳頂には凝灰岩製の舟形石棺の身が置かれているが、蓋は現存していない。石棺は全長3.45メートルの方形の箱形で、両端には1対の縄掛突起がある。形態的には舟形石棺の範疇に入るが、長持形石棺の影響を強く受けていると考えられる。県西部に分布する舟形石棺の中では、初期に位置づけることができ、烏川上流域の上並榎稲荷山古墳とほぼ同じ時期の形態的特徴を持つ。古墳の築造された年代は、舟形石棺の時期や造出部の土器が和泉式期の比較的後出する時期のものであることから5世紀後半代であると考えられる。不動山古墳の設計企画を復元してみると、墳丘部分の平面構成が太田天神山古墳のものと同一であり、天神山古墳の主要部位のスケールを約6メートル(晋尺で25尺)引いて2分の1に縮小したものと一致するとされる。またこの設計企画は伊勢崎市お富士山古墳と2:3の比率で、群馬町保渡田八幡塚古墳と1:1の比率で相似形であることが指摘されている。これらの古墳が同一の設計企画に基づいて築造された可能性が高いことが考えられる。出土遺物は県立歴史博物館に保管されている。〈黒田晃〉 |
| [文献] ◇『群馬県史』資料編3 1981 |