藤川堰遺跡(ふじかわぜきいせき)

  邑楽郡邑楽町藤川字西田にあり、渡良瀬川の沖積地末端に立地する。1996年に河川改良事業に伴って邑楽町教委が発掘調査した。畦を伴う平安時代の水田が見つかった。条里制に基づく水田と思われる。藤川堰は戦国時代に渡良瀬川支流の韮川を分流したもので、堰に至るまでの川の曲折は大谷休泊の七曲がりと伝えられ、扇状地末端の水が、1度に流れて洪水を起こさないように工夫されたところである。水流によって運ばれた厚さ5センチメートルほどの砂質土層下から、畦を伴う粘性を帯びた水田面が見つかった。畦は幅約150センチメートル、高さ10センチメートル前後で、東西方向のものとこれに直交する南北方向のものも見つかった。伴出した土器は9世紀中ごろのものである。また水田を覆っている洪水砂層の上面には一部で、As-Bが認められた。従って、この砂層はAs-B降下直前に堆積したものとみられ、水田の時期は平安時代末期以前にあてられる。植物珪酸体分析の結果、9世紀中ごろ以前から稲作が行われていたようである。出土遺物は邑楽町教委に保管されている。〈村岡泰子〉

[文献]
◇『藤川堰遺跡』 邑楽町教委 1996

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