| 吹屋遺跡群(ふきやいせきぐん) |
| 北群馬郡子持村吹屋にあり、利根川と吾妻川によって形成された河岸段丘上に立地する。この地域では、1991年に公共施設の建設に伴って子持村教委が源空寺裏遺跡を、1992年から1994年には国道353号道路改良工事に伴って県埋文事業団が吹屋犬子塚遺跡、吹屋中原遺跡を発掘調査しており、これらの遺跡の総称として、「吹屋遺跡群」という呼称が用いられる。このうち、吹屋犬子塚、吹屋中原の両遺跡からは、旧石器時代の剥片を中心とした約1500点の遺物、縄文時代前期の竪穴住居2、中期の竪穴住居1などのほか、近世から近・現代の土坑多数など、各時代にわたる多くの遺構や遺物が見つかった。
特筆すべきは古墳時代の遺構である。特にHr-FPの下面から無数の馬の蹄跡が発見され、注目を集めた。この蹄跡は本遺跡群全域、および下位段丘面の白井地区の諸遺跡(白井遺跡群)にも分布しており、Hr-FP降下当時この付近一帯で馬が放牧されていたことが判明した。また、当時の地表面には多数の畦状の土盛り(畦状遺構)が縦横に走っており、土壌も攪乱を受けていることから、遺跡全域で何らかの畠耕作が行われていたことが推定され、さらに陸苗代と思われる畝、水田なども発見された。これら農耕に関する痕跡は蹄によって踏みつぶされており、放牧とは明らかな新旧関係がある。しかも、畦状遺構の断面調査から、数回の野焼きの痕跡とそれをさかのぼる蹄跡なども発見され、放牧、野焼き、畠や水田の耕作、畦状遺構の盛り直しなどといった行為が時間的に重層して行われていることが判明した。これらの評価については、ある程度の広い面積を単位として畠作耕地と放牧地との交代を繰り返す「輪換農法」的なものを考える説や、この地域は基本的に放牧地としての利用が主であり、その中のごく一部が耕地として使用されたに過ぎないとする説などがあるが、決定的な説はまだない。出土遺物は子持村教委、県埋文センターに保管されている。〈高井佳弘〉 |
| [文献] ◇『白井北中道II遺跡・吹屋犬子塚遺跡・吹屋中原遺跡』 県埋文事業団 1996 |