| 平井金山城跡(ひらいかなやまじょうあと) |
| 藤岡市金井にあり、標高331メートルの金山山頂に本丸が築かれている。本丸は平井城の南西約2キロメートルにあり、北方へ延びる尾根上に約400メートル、東方へ約250メートル、西方へ約100メートルにわたって城が築かれている。1987年にゴルフ場造成に伴って藤岡市教委が一部を発掘調査した。調査した大手門や櫓門は城の最も北に位置し、平井城との連絡路(大手筋)として位置付けられる。遺構は、大手門、櫓門、木戸、堀切・竪堀、平場(曲輪)、石垣、掘立柱建物などがある。そのほかに平安時代の竪穴住居1、竪穴状遺構1がある。
大手門からは4個の柱穴と堀切と石垣が見つかった。柱穴には、柱穴が個別に掘られる時期と柱穴の奥と手前をつないで掘る布掘りの時期があり、最大6回ほどの重複する掘り方が見つかった。門の幅は2.6メートルほどであった。堀切は、幅3メートルから4メートル、深さ70センチメートルから170センチメートルほどで、門柱の手前3メートルほどを掘り残して土橋としていた。石垣は門の手前の通路左側と、門柱の両わきに残っていた。また、堀切に造られた石垣は、尾根に沿って直角に曲がり、カロウト岩の下の尾根を取り込むように痕跡が見つかり、門の内側には広場(曲輪)が造られていた。第一木戸からは柱穴2個、竪堀、石垣2カ所が確認されている。木戸の柱穴の間隔は2.2メートルほどであった。竪堀は現在の登山道をさえぎるように長さ8メートル、幅2メートル、深さ50センチメートルから60センチメートルほどに掘られていた。石垣は木戸の両側から見つかった。大堀切は第一木戸から60メートルほど上にあり、第一平場の下に位置する。第一平場との標高差は8メートルほどであり、尾根の付け根部分が幅7.5メートル、長さ15メートル、深さ2.3メートルほどに掘られていた。尾根の左側は3メートルほど高く土橋状に残されていた。大堀切から櫓門へ行く通路は、第一平場の下に設けられ、中央部分に石垣が残っていた。 櫓門からは8個の礎石(岩盤の掘り込みを含む)、櫓台、石列、塀と櫓台に伴う小柱穴2個および石垣が見つかった。櫓門は、第一平場側の4メートルから5メートルほどの方形の高まりである櫓台と一体になった構造と考えられ、柱は片側に4本ずつ配置され、奥行4.2メートル、幅3メートルほどの規模であった。第二平場側の4個の礎石の間には一部から炭化した板材が確認され、門柱部分は板材で囲われていたと推定される。石垣は、櫓台の通路側と、第二平場側の礎石の手前に残っていた。櫓門の内側からは、釘と思われる鉄製品が数十個出土し、また、焼土が多量に見つかったことから、焼失したものであろうと考えられる。石列は、櫓門の内側に長さ7メートル、幅約1メートルで石を2列に並べたもので、櫓台との間に2個の小柱穴があり、櫓門と第一平場を隔てる木戸を併設した塀と推定された。小柱穴の間隔は2.1メートルほどであった。第一平場からは、掘立柱建物2棟が見つかった。第二平場へは、櫓門を通り、第二平場の西側に幅2メートルほどの通路が造られ、一番奥に幅3.5メートル、長さ4メートル、深さ60センチメートルほどの岩盤を掘りくぼめた第二木戸が造られ、この両側には柱穴があった。第二平場からは掘立柱建物1棟が見つかった。出土遺物は藤岡市教委に保管されている。1993年に市史跡に指定されている。〈古郡正志〉 |
| [文献] ◇『藤岡市史』資料編 1993 |