東田遺跡(ひがしだいせき)

  新田郡新田町上江田字東田にある。木崎台地北端寄りの台地北東縁に立地する。1986年に工事建設に伴って新田町教委が発掘調査した。弥生時代終末期の土坑1、古墳時代中ごろの住居8と中世の屋敷遺構が見つかった。中世の屋敷遺構は南北2カ所にあるが、全容が把握できたのは北遺構である。掘立柱建物、柱列、竪穴状遺構、井戸、溝などからなるが、2時期(A、B)に分類される。屋敷周りが環溝で整備された北屋敷遺構B期は、北縁を台地端部とし、東、南、西を溝で囲む。屋敷の規模は東西42メートル、南北38メートルで、方形状をなす。環溝は上幅80センチメートルから120センチメートルである。屋敷の正面は東側にあり、東辺に幅約5メートルの木橋、南辺に幅2メートルの土橋の2カ所の出入口がある。掘立柱建物は総数6棟からなる。主屋と副屋(厨か)は、屋敷東半域にあり、南北棟の大型の建物である。屋敷の中央には柱列があり、その西半域には4棟の付属屋と2棟の竪穴状遺構がある。出土遺物は、在地産のこね鉢、内耳土器、皿、火鉢、古瀬戸の皿、砥石、木製の桶、鉄滓などがある。土器類からみて本遺構の年代は15世紀前半を中心とした100年ほどとみられる。本屋敷遺構は、溝によって囲まれているが、武士層の館とは明確な階層差がある。農民層の屋敷、具体的には在家農民の屋敷にあてられると考えられ、これは『一遍聖人絵伝』など、中世の絵画資料に照らしても妥当性が感じられる。中世にあっては、新田氏によって開発された新田荘の上江田郷にあり、その在家農民の屋敷構えを具体的に示す資料と考えられる。出土遺物は新田町教委に保管されている。〈須田茂〉

[文献]
◇『東田遺跡』 新田町教委 1987
◇『新田町誌』通史編 1990

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