端気着帳遺跡(はけちゃくちょういせき)

  前橋市端気町字着帳にあり、赤城山南麓の裾野が関東平野に接する標高110メートル付近の台地上に立地する。1982年から1983年まで土地改良事業に伴って前橋市教委が発掘調査した。縄文時代前期の竪穴住居1、中期の竪穴住居1、弥生時代の方形周溝墓2、古墳時代の竪穴住居16、中世(南北朝時代)の環壕1ならびにそれに付随すると思われる石敷遺構3基が見つかった。特筆されるものは、中世の大規模な環壕である。堀はいわゆる薬研堀で、大きさは上幅4メートル、下幅30センチメートル、深さ2メートル。ローム層を掘り込んだ斜面はシャープで、水の流れた痕跡はなく空堀である。北辺の長さは83メートル、この東西両端でほぼ直角に南に曲がり、東辺は46メートルある。さらにその南端で120度の角度で南西に屈曲し、南辺は66メートルまで確認したがさらに調査区域外に続く。西辺は北西隅より62メートルまで確認し、同様に調査区域外に延びる。この環壕の内側から建物の基礎と思われる石敷遺構3基が確認された。石敷遺構出土遺物と環壕の覆土中の遺物はどちらも13世紀後半から14世紀前半ごろのものである。環壕北辺の南では柵列と思われる掘り込みが見つかり、また南辺には土橋が造られていた。出土遺物は前橋市教委に保管されている。〈木暮誠〉

[文献]
◇『端気遺跡群』I・II 前橋市教委 1983・1984

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