萩原窯跡(はぎわらようせき)

  太田市吉沢字萩原にある。八王子丘陵南東部の小円丘の南西側の裾部に立地する。八王子丘陵の南東麓には、須恵器や瓦を生産した窯が数カ所分布し、奈良・平安時代の窯群が形成されている。本窯もその一つにあたる。正式に発掘調査がなされていないために、遺構や遺物の全容は不明であるが、遺跡一帯には多量の瓦と少量の須恵器の散布が認められる。主たる生産品である瓦類には、軒丸瓦、軒平瓦、丸瓦、平瓦がある。軒丸瓦は複弁八葉文で、蓮子は1+5+8、外区に24歯の面違鋸歯文がめぐる、いわゆる川原寺式の軒丸瓦であり、寺井廃寺の創建瓦と同范とみられる。軒丸瓦はこのほかに、単弁十二葉に復元されるものが知られ、これは東矢島遺跡(太田市末広町)に同笵型とみられる資料がある。軒平瓦は轆轤型挽きによる三重弧文がある。丸瓦、平瓦は、凸面に正格子の叩き目があり、ともに凹面に模骨痕があることから、桶巻作りと見なされる。須恵器には、甕、壷、蓋坏のほか、盤状の器種もある。年代観を示す指標的な蓋坏を見ると、蓋は口径13センチメートルから13.5センチメートル、口縁内部に退化的なカエリが付き、ツマミは扁平な算盤玉状である。坏は口径11センチメートルから12センチメートルほどで、底部はほぼすべて回転箆調整であるが、一部に回転糸切り後に箆調整するものがある。以上をまとめると、本窯は少量の須恵器を併焼した瓦窯であり、操業年代は7世紀後半から8世紀前半の幅でとらえられるが、開始年代は7世紀第4四半期に比定され、これは寺井廃寺の創建年代と一致する。主たる生産品である瓦類は、東矢島遺跡などにも供給されているらしいが、主体は寺井廃寺の創建期瓦である。つまり、本窯は寺井廃寺の建造に伴って築営された、寺井廃寺の付属瓦窯という性格をもつものと見なされる。〈須田茂〉

[文献]
◇『太田市史』通史編原始古代 1996

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