芳賀北部団地遺跡(はがほくぶだんちいせき)

  前橋市北部の嶺、勝沢、小坂子町(現高花台)にあり、赤城山南麓の南への斜面に立地する。北端の標高は200メートルで南端の標高は160メートルである。縄文時代から中・近世にまたがる複合遺跡である。1973年から1974年に芳賀北部団地造成に伴って約4.45haを前橋市教委が発掘調査した。県内の大規模開発に伴う発掘調査としては初期のもので、遺構、遺物ともに多く発見されている。発見された遺構は、縄文時代が竪穴住居34、土坑、配石など、奈良時代から平安時代にかけての竪穴住居227、製鉄跡3、掘立柱建物8、溝28、井戸、土坑である。縄文時代では、中期の竪穴住居が26棟あり、遺物も良好なものが多い。出土土器の時期は、おおむね中期初頭段階から後半段階にかけてが主体であり、阿玉台式期、勝坂式期および加曽利EIII式期が充実する。赤城山南麓域には、富士見村見眼遺跡、宮城村鼻毛石中ノ山遺跡など縄文時代中期の遺跡が濃密に分布している。本遺跡も当地域の中期遺跡群の一隅をなすものと考えられる。奈良時代から平安時代にかけての竪穴住居は8世紀前半から11世紀までを含み、9世紀以降が多い。遺跡の中での立地を見ると、8世紀代では遺跡の南に多いが、集中度は低い。この時期の中心の集落は本遺跡の南の芳賀東部団地遺跡とみられる。9世紀ごろからは全体に遺跡の北半部に集中し、竪穴住居の重複も多くなる。遺跡の中には、東西南北に多くの溝が発見されており、当初は竪穴住居との関連も考えられたが明確にはつかめなかった。遺物には、緑釉陶器や灰釉陶器のほかに鉄製品などがあり、坏も小型のものが多く見られた。出土遺物は前橋市教委に保管されている。〈川合功〉

[文献]
◇『芳賀団地遺跡群』5・6 前橋市教委 1994・1996

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