西太田遺跡(にしおおたいせき)

  伊勢崎市安堀町にあり、神沢川が広瀬川に合流する、北側の台地上標高70メートルにある。遺跡西辺は、古利根川により6メートルほどの浸食崖を形成している。1981年から1982年にかけて北部環状線道路建設に伴って伊勢崎市教委が発掘調査し、弥生時代から平安時代にわたる遺構、遺物が見つかった。竪穴住居209、掘立柱建物9、井戸17、砂鉄集積遺構、粘土集積遺構、土坑墓などがある。竪穴住居は、弥生時代の4棟を除くと53%が古墳時代で、残りの47%が奈良時代から平安時代にかけてのものである。中でも6世紀代のものと8世紀代のものが多い。弥生時代の竪穴住居4棟のうち3棟は中期のもので、うち1棟から太形蛤刃石斧2点と扁平片刃石斧1点が出土している。いずれもほぼ完形で、研究上良好なセット資料とされている。ほかの1棟は後期のもので、茨城県の十王台式土器の系譜を引くとみられる甕の出土があり、弥生文化の東西の接点地域とも考えられる。平安時代の竪穴住居には、竈の横に棚状施設を設けたものもあり、住居内の生活空間を効率的に活用していたことをうかがうことができる。砂鉄集積遺構は奈良時代と推定され、小型の住居状の遺構の中に厚さ18センチメートルの砂鉄が堆積しており、その量は0.4立方メートルと考えられる。古墳時代から平安時代の集落遺跡に加え、貴重な遺構や遺物が認められる、市内でも重要な遺跡の一つである。出土遺物は伊勢崎市教委に保管されている。〈村田喜久夫〉

[文献]
◇『西太田遺跡』 伊勢崎市教委 1982
◇須長泰一・早川隆弘「西太田遺跡の集落変遷について」『伊勢崎市史研究』9 1991

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